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Brighture English Academy 代表。趣味はウクレレとかハイキングとかDIYとか旅行などなど。在米20年。シリコンバレーに住みつつ、日本とアメリカとフィリピンで会社経営しています。最近は英語教育がライフワークになりつつある。

2017年9月26日火曜日

日本はまるで「モーレツ!オトナ帝国」

日本は、行くたびに本当にいい国だと思う。例えば治安の良さ。日本に出向させたフィリピン人従業員たちが「日本は言葉が通じない外国なのに、フィリピンよりも東京の方がずっと安全に感じる」と口々に語っていたが、そう感じる外国人はきっと少なくない。こんなに安全な国はおそらく他にないだろう。ありとあらゆる店における最高の接客態度、すべての街角にある異常なまでに便利なコンビニ、おそらく「ハズレ」がない食事、充実した健康保険制度、定刻通りに動く鉄道網。ある意味「完璧」と言ってすらいい世界なのだ。

そこには「変わらない世界」がある


強いて文句をつけるとすれば、この完璧さはあくまで「80〜90年代の延長にある完璧さ」なのだ。どこのお店でも現金が一番便利。駅前に列をなしているタクシー。24時間営業ののコンビニやファミレス。見たいものがなんでも揃っている駅前のTSUTAYA。僕が20代だったころから驚くほど変わっていない。

もちろん、変わったことも少しはある。アマゾンや楽天で買い物ができるようになったことや、電車の中で新聞や雑誌を読んでいる人がいなくなったことがすぐに思い浮かぶ。でもその変化は、同じ時期に他の国が体験した変わりようと比べると、驚くほどマイルドなのだ。

いくつか例をあげよう。

例えば日本には、今でもUberのようなライドシェアサービスがない。あれは事実上の白タクじゃないか、という議論があるのは百も承知だ。しかし、それならば同様のサービスをタクシー会社が提供してたっていいはずなのだ。配車アプリは一向に普及せず、タクシーを呼べた高い迎車料金を取られる。駅前に列をなすタクシーを見るたびに、昭和を生きているような錯覚に囚われる。自動車大国アメリカですら、大都市では乗用車を手放して暮らせるほどにライドシェアが一般化しているというのだ。

あるいは他の国では、現金が急速に消えつつとあるというのに、未だにどこにいっても現金払いなのも実に不思議だ。それでいて、現金を銀行から引き下ろす度に、しっかり手数料を取られている。それでいて、誰もそれを変だとは思わない。

新幹線の切符は、なぜEチケットになっていないのだろう? 飛行機ですらEチケットだというのに。

なぜSuicaやPasmoをチャージするのにいちいち現金が必要で、クレジットカードが使えないのだろう?

なぜ、未だに飲食店での喫煙を議論しているのだろう? インフラ整備が日本の50年後ろを行っているフィリピンですら飲食店は全面禁煙だというのに。

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懐かしさすぎる国、日本

2001年に公開された「映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」という作品をご存知だろうか? 大人たちが子供たちを置き去りにして、20世紀の懐かしさの虜になってしまうという物語だ。



日本に帰るたびに、まるでこの「オトナ帝国」に来たかのような錯覚を覚える。30年前に問題とされていた少子高齢化や年金問題は、今でも同じような議論が続いている。通勤電車も変わらず満員のまま。昔のヒットアニメが次々と実写化してリメイクされ、オトナたちがこぞってそれを見に行っている。オトナたちがおもちゃを「大人買い」している。お台場には実物大のガンダムが建てられている。これではまるで、オトナ帝国そのものではないか。そしてこのオトナ帝国は実に居心地が良いのだ。

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どうして変われないのか?

どうして日本だけが世界の潮流から取り残され、オトナ帝国になったのだろうか? それは、日本中が変化を恐れるオジさんとオバさんだらけになったからだ。日本人の平均年齢は、今や46.5歳。人生50年の世だったらばそろそろお隠れになる年齢が、僕らの平均年齢になりつつあるのだ。当然のことながら、新しい発想なんか出て来やしない。また別の人が出したって、寄ってたかってぶっ潰すのだ。何しろもうそろそろ50歳で、人生の後半を考える時期に差し掛かっている。下手な博打を打つよりも、予想がつく世界が続いてくれた方がいいのだ。僕だってもしも海外に住んだりしなかったならば、この居心地の良い世界が続くことに無自覚なまま加担したに違いない。

そろそろ正気を取り戻さないと……

今後日本はさらに難しい局面を迎える。だがそこ頃には、国民の平均年齢は50歳を遥かに超え、今よりももっと変化を恐れるようになっているのだ。そしてそうなってからではあまりに遅すぎる。財政破綻したり、人口が今の半分になってから気がついても少しばかり遅すぎるのだ。

クレヨンしんちゃんの父、野原ひろしは映画「オトナ帝国の逆襲」の中で、自分の靴下の匂いを嗅いで正気を取り返すのだが、僕らもどこかで靴下の匂いでも嗅いて正気を取り戻さないと、本当に取り返しのつかないことになってしまう。

僕らもそろそろこの昭和の香り漂う「オトナ帝国」をやめませんか? 懐かしさに浸っていても、未来は拓けないのだから。

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1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

「進歩」イコール良いこと、成すべきものという考えは一元的ではないだろうか。
「右肩上がりの成長」と置換えても良いが、そのグラフの遥か上の風景が見えているのか。
グローバリゼーションという進歩に日本がつていけないのはやばい、周りに遅れるのはやばい、と考える前にその方向は本当に正しいのか。
そもそも「正しい方向」という目標、理想像があるのかも疑問であるが。

個人的には、ご指摘のように”オトナ帝国”や緩やかな変化(進歩)は居心地が良く、安心感がある。
日本は日本独特の考え方や、インフラ仕様、生活様式をマイルドな改善をしつつ維持すれば良いと思う。変化の少ない安定感、大歓迎。

何かにつけて世界では、諸外国では、先進国ならという発想で流れに乗る(流される)のは、独自のビジョン、発想力がないからと感じることがしばしばである。
変化(進歩)しないことを恐れて、がむしゃらに次を求める様は、過去5億年前の生命誕生、500万年前の人類の誕生の歴史から俯瞰してみると狂気すら感じる。
進歩や時間に囚われたこの狂気は、日本を含む全人類の運命に係わる課題であり、その一つの断面が経済(食糧)問題、人口問題等々であろう。
はたして現在の変化(進歩)の仕方は、人類の未来にとって有益なのか甚だ疑問である。