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Brighture English Academy 代表。趣味はウクレレとかハイキングとかDIYとか旅行などなど。在米20年。シリコンバレーに住みつつ、日本とアメリカとフィリピンで会社経営しています。最近は英語教育がライフワークになりつつある。

2012年5月14日月曜日

マルチタスクからマルチライフへ

コンピュータが生活に入ってきて一般的になったものと言えば「マルチタスク」です。

私も企業勤めの時にはいつでもどこでもメールを読んだり書いたりしていました。またテキストメッセージもひっきりなしに来ていました。時間が根本的に足りず、家族とテレビをいっしょに見ている時ですらソファーの端でラップトップを広げ、常に何かやっていました。iPhoneが支給されてからはますますその傾向に拍車がかかり、本当に常に仕事をしていました。こんな生活をしている人、今では少なくないでしょう。

振り返ってみると仕方がなかったとはいえ、家族には悪かったな…と感じています。

そして遂に会社勤めを辞め、このマルチタスク生活に終わりを告げる時がやって来ました。退職を機に携帯電話も処分してしまったので、家族に向き合う時間が増える…はずでした。

しかし、時代はマルチタスクからマルチライフの時代に移り変わっていたのです。

マルチライフってなんだって?

読んで字の如く、複数の人生です。

誰でも家族や友人とご飯を食べたり喋ったりするリアルライフがありますが、その一方でFacebookのアップデートを覗き込んだり、twitterにコメントしたりされたりと、リアルライフと並行してもうひとつのバーチャルライフがあるんです。そして仕事のメールから解放されたら、今度はそのバーチャルライフにつぎ込む時間が劇的に増えてしまったのです。

そしてこれはおそらく私だけではなく、世の中の多くの人がそうでしょう。

この「マルチライフ」を実感したのは、2年ほど前に知り合いのお葬式に行った時のことです。

お葬式って人生の中でも数少ない、自分の120%のアテンションを故人とその残された家族や友人に向け、故人を偲ぶべき時間だと思うんです。

でも談笑しながらコッソリとテキストしたりFacebookを覗き込んでいる人、数名ですがいました。

葬儀でこの始末ですから、喫茶店などで談笑しているグループなども全員が代わる代わるスマートフォンを覗き込んでいるんです。当然ながら目の前にあるリアルな会話につぎ込まれるアテンションは以前の半分かそれ以下です。

またちょっと前までは思春期の子供がケータイのメールにかかりきりで食卓でも上の空、なんて問題視されていましたが、いまやうっかりすると親の方も子供なんか見ちゃおらず、意識は半分バーチャルライフです。

これじゃ一体どっちがリアルでどっちがバーチャルなのか微妙なくらいです。

さて、まあこれはこれで新しい人生の形態なんだと思うことにしましょう。良くも悪くも今はリアルとバーチャルがくっ付いた時代ですから、これも新しいリアルなんだと割り切る必要がある部分もあるでしょう。

しかしですね…。昔なら例えば大学に進学すると、それまでの友達とは基本的に付き合いが切れて、「新しい自分」をやり直せるような部分があったと思うんです。そして地元に帰った時だけあんまり冴えない、それでいてちょっと安心できる「昔の自分」に戻るみたいな。

でも高校の時からFacebook に300人も400人も友達が居て、大学に行こうが海外に移住しようがそれがみんなくっ付いてくるってどうなんでしょうか?これではやり直しもクソもありません。そういうのが幸せなのか微妙な気がします。

また中学や高校時代といった若い時期には、部活動などの距離が近過ぎて息苦しいような濃密な人間関係の中で、人との付き合い方や距離の取り方、あるいは我慢の仕方など色々と学んだと思うんです。でも今ではだれでもちょいとケータイを取り出して意識は半分「あちら側」に飛ばせてしまうのです。これは果たして人間の成長に良いことなのかどうか、極めて判断が難しい問題な気がします。

最近「Alone Together: Why We Expect More from Technology and Less from Each Other」という本を読んだら、ついついこんなことを考えてしまいました。和訳はないようですがなかなか興味深い本です。英語が不自由でない方は是非チャレンジしてみてください。

おすすめです。

PS:なお、この続きに当たるような記事を書きました。こちらです。

バーチャルはリアルをどこまでも浸食




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