2016年12月18日日曜日

僕らはみんな、誰かの人生に参加している

36歳の時に、家族を連れてアメリカに渡った。

ひょっとしたらもう日本に住むことはないかもしれない……。何となくそんな予感がして、僕はあちこちにバイクを走らせては、ビデオや写真を撮った。

通っていた幼稚園、小学校、中学校、高校。スイミングクラブ。初めてのバイト先や就職先。当時通っていたお蕎麦屋さんや喫茶店などなど。

その時々に、それぞれの場所で、僕なりの思い出がある。誰にだって、嬉しい思い出もあれば、人には話したことのない辛い思い出の一つや二つもある。そしてその時々に温かい言葉をかけてくれたり、手を差し伸べてくれた人たちがいる。中には、名前さえ知らない人もいるし、気を使ってもらったことにこちらが気がつかなかった人さえいるだろう。

でも僕らは、そんなふうに受けた恩をいつの間にか記憶の片隅へと押しやってしまう。感謝していないわけじゃない。でも、何となく気恥ずかしかったり、うまい感謝の言葉を思いつかなかったり、「ちゃんとお礼しなくちゃ」などと思っているうちに、時間が過ぎ去ってしまったりするのだ。

再びアメリカに住みたいと思ったのには訳がある。

僕がかつて、ほとんど英語を喋れないままにアメリカに渡った時に、親切にしてくれたおばあちゃん先生がいた。当時すでに70歳をすぎていたメアリ・ドロシー先生だった。僕が通っていたのはカトリック系の高校で、先生は学校のそばに併設された寮のようなところに住んでいた。

一生をキリスト教に捧げてきたメアリ・ドロシー先生は、穏やかな人だった。僕の拙い話を一生懸命聞いては、簡単な言葉で色々と質問してくれた。そして、僕の英語があまりにも間違っていると、正しい文法や発音で僕のセリフを言い直してくれる。

先生の前だと失敗してもなんだかオッケーな感じで、安心して覚えたばかりの表現を使ってみた。僕はかなり短期間で英語が話せるようになったが、それはきっとこのお陰だろう。さらに、僕は将来はきっとアメリカに住もうとこの頃に決心したのだが、それだって、この先生のあたたかさによるところが大きい。

人のあたたかさ。それが思い出を作ってくれる。特定の土地や場所への郷愁を作ってくれる。こうして僕は、人生の一ページをアメリカで過ごしてみようと決意したのだ。そして、もうこの土地に19年も住んでいる。



メアリ・ドロシー先生のことを思い出させてくれたのは、飛行機の中で読んだ「バーのマスターは、「おかわり」をすすめない 飲食店経営がいつだってこんなに楽しい理由 」という単行本だ。


特に心を掴まれた一節を引用しよう。

お店に立つということは誰かの人生に参加しているということなんです。僕たち店員がサービスした席でプロポーズしてるかもしれません。僕たちが何気なく言った言葉が、誰かの人生を変えるかもしれません。

多分、このことはお店に立つことだけに限らない。僕らはみんな、知らず知らずのうちに他人の人生に参加している。他人に影響を与えることもあれば、逆に自分が受けることもある。それには良いものもあれば、悪いものもあるだろう。著者の林伸次氏は、わずか二回しか行ったことのない喫茶店で、大きな影響を受けたという。

僕は今、ブライチャーという語学学校を経営してる。そこで僕は、従業員たちや大勢の生徒たちの人生に参加させていただいている。願わくば、かつてメアリ・ドロシー先生が僕にしてくれたように、彼らの背中をほんと少しでも押すことができたら、と改めて思わせてくれた一冊だった。



メアリ・ドロシー先生は晩年、シンシナティ市にある養老施設に入居された。その頃大学生だった僕に、ある日先生から1枚のハガキが届いた。そこには「ヒロシ、お元気ですか? 私はもうすっかり歳をとってしまって、養老院に入ってしまいました。周りは知らない人ばかりで、とても寂しいです」と綴ってあった。

まだやっと20歳の僕には、重い手紙だった。気の利いた返事を書きたいと思ったが、どうしても筆が進まなかった。そして極めて愚かなことに、僕はそのまま放置してしまったのだ。

しばらくして先生は亡くなってしまい、今はもう思い出の中にしかいない。

30年も前のことだが、情けなく思う。

そんな僕に今できることはといえば、かつて先生が僕にしてくれたように、あたたかい学びの環境を作ることだけなんじゃないだろうか。

この1冊には、著者が大切にしてきた出会いや思い出だけではなく、極めて実践的な飲食店経営のノウハウなどもぎっしりと詰め込まれており、気づきにあふれ、それでいてホロリとさせてくれる、良書でした。

強くオススメします。



「本気で英語を学ぶ人」のためだけのイングリッシュアカデミー、それがブライチャーです。「英語を本気でモノにしたい」そんなあなたの前向きな姿勢に、ブライチャーは本気でお応えします。

2016年12月13日火曜日

人間が人間らしく振る舞うには、お金が必要です

フィリピンでビジネスを始めて、骨身にしみて実感したことがある。

それは、「人間が人間らしく生きるためには、衣食住がきちんと満たされており、なおかつ安全が担保されている必要がある」と言う当たり前の事実だ。

マズローの五段階欲求説というものがある。




この説によると、「社会貢献する」とか「創造性を発揮する」などと言った自己実現欲求は、それよりも下位に来る欲求が満たされて、初めて実現できるというのだ。 「そんなことはない!二宮金次郎や野口英世を見ろ!極貧の家庭で育ったのに世の中を変えたじゃないか!」と思う人もいるだろう。確かに例外は現実に存在するが、滅多にいないからもてはやされるわけで、残念ながら大半の普通の人々は、やっぱり「貧すれば鈍する」なのだ。 別にそんな特別に極貧の家庭で育たなくても、例えばインフルエンザにかかったり、忙しすぎて1、2食抜いただけだって集中力が下がってしまう。あるいは空港や駅で財布をすられただけで、絶望的な気分になり、周囲の人がスリに見えてしまう。安全な社会や住居がなければ、他人を信用したり、尊重したりすることなどできないのだ。

フィリピンの場合


僕が今事業をしているフィリピンでは、多くの人がまだこの一番下のレイヤーの「生理的欲求」、あるいはその次の「安全欲求」のレベルで止まっている。もちろん自己実現欲求に達している人もいるが、それはほんの一握りの階層に過ぎない。

むろん、誰だって下位レベルから抜け出したい。ところが、親が子の足を引っ張ったりするので、なかなか思うようにならないようだ。例えば子供が一流大学を出ていい仕事に就いたとする。すると、親兄弟が子供の収入を当てにしてタカリ出すのだ。だから、子はいつになっても豊かになれない。傾いたあばら家に住み、親兄弟を養っていく以外に選択肢がないのだ。子供は貴重な金づるだから、稼げるようになってもおいそれと独立などさせはしない。

するとどういうことが起きるだろうか? 子の方だって未来が描けないから、享楽的、刹那的になり、目の前の出来事に一喜一憂するようになる。もちろん貯金なんてしないし、職場でちょっと嫌なことがあれば転職してしまう。日本人から見ると「なんて短絡的なんだろう!」となるが、目の前の現実が物理的なレベルで止まっているので、恩義も忠誠も我慢もクソもないのだ。そうしたことは、下の方のレイヤーがキチンと満たされて、初めて思い至ることなのろう。

こんなことを書くと、上から目線だとと思うかもしれない。だが、かの地では第2段階の安全欲求を満たすことさえもかなりの努力やお金を要する。インフラ整備も著しく遅れている。道にはほとんど信号がないから、片側3車線の道だって命がけで横切らなければならないし、排気ガス規制なんて無いも同然なので、モクモクするような空気の中を歩かなければならない。ちょっと大雨が降るとあっという間に道路が冠水し、交通マヒに陥ってしまう。公衆衛生も著しく遅れいて、簡単に下痢や食中毒になりやすい。さっさと医者に行けばいいのだが、大半の人が健康保険に加入していないのだ。

また、ネットがあってもオンライン・ショッピングが成立しない。インフラが遅れすぎているのと、配達人が荷物を盗んだりするので商売が成立しないのだろう。アマゾンさえ上陸していない。スリなどの軽犯罪も日常茶飯事だ。僕自身もスリにあったことがあるが、先進国と同じような感覚でいると、格好の餌食にされてしまう。だから常に神経を張り詰めていなければならず、無駄に疲れてしまう。仕方がないことだが、こういう環境で創造的なことに回すエネルギーを捻出するのは、どうしてなかなか骨が折れる。

そう。清貧なんていうのは基本的に絵空事なのだ。あまりに貧しいと善悪なんて言ってられない。スリにだって生活があるのだ。「ああ無情」のジャン・ヴァルジャンではないのだが、明日の食費に困っている人に、「盗んではいけないよ」などと説教しても効果など期待できない。

「自己実現」は金がかかる


時折アメリカや日本に戻ると心底ホッとする。何も考えずに安全を享受できるのはいったいどれほど有難いことなのだろうか? たまたま先進国に生まれた僕らは、衣食住や安全を当たり前のこととして受け入れていて、自分たちがどれほど恵まれた状況にいるのか、考えることさえない。

言わずもがなだが、交通網、上水道、下水道、配電、ネットなどといった先進国の整ったインフラの構築とそのメンテには莫大なお金がかかっている。警察、消防、教育、郵便、医療、年金などと言った様々な制度も同じことで、お金がなければ何一つ成立しない。

そう。マズローの自己実現欲求のレベルに達するには、お金がかかるのだ。

もしも社会全体がこうしたインフラや制度にかかるお金を負担しなくなったら、豊かの人だけが集まって警備員を雇い、柵に囲まれた彼らだけの世界で暮らすようになるだろう。安全や教育や医療が一部の人だけの特権になっていくのだ。一方お金がない方は、明日の食事の心配をするのが精一杯になり、道徳なんて二の次になる。フィリピンをはじめとする多くの国が、実際にこのような状況にあるのだ。

だから、僕らはシッカリとお金を稼ぎ、税金を払い、それが有効に使われるよう、政治を監視し、問題があれば声をあげていかなければいけない。別にお金がなくたっていいじゃないか?などというのは、たまたま先進国に生まれたから言える戯言なのだ。

人間が人間らしく生きていくには、お金が必要なのだ。

シッカリと稼ぎ、賢く使う。

豊かな社会を創るということは、そういうことだろう。





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2016年12月2日金曜日

アメリカがポリコレと共に投げ捨てたもの

ドナルド・トランプ氏が選挙運動中にこき下ろしたポリコレこと「ポリティカル・コレクトネス」、選挙直後には日本でもずいぶん話題になったようです。「ポリコレ棒」なんて言う言葉まで飛び出して、ネット上で随分熱く議論されていました。

日本で繰り広げられたポリコレ議論は、主に「言葉の使い方」に終始していたように見受けられますが、実はアメリカにおけるポリコレは、表現の問題だけにのみならず、例えば会社や学校の政府の方針や政策など、ありとあらゆるところに深く及んでいるある種の、思想、あるいは価値観のようなものなのです。

そしてこのポリコレは、ここ数十年のアメリカの繁栄に大きく関与してきました。

求人面接で訊いてはいけないこと

例えば日本では「35歳未満の男性を募集中!」などと言った求人広告を目にしますが、これ、アメリカだったら完全にNGです。理由は簡単、年齢差別だからです。同様に「未婚女性のみ募集」もダメですし、「白人男性のみ募集」もダメです。「キリスト教徒のみ募集」とかもダメです。

しかし、「プログラミングの経験が5年以上ある方」ならば全然オッケーです。「公認会計士の資格を持ち、実務経験が3年以上の方」とかね。こういうのは全く構いません。これが「政治的な正しさ」というわけなのです。

さて、実際にこういう公正中立な広告を出して、応募がワンサカ来たとしましょう。アメリカの標準的なレジメには、志望動機、学歴、そして実務経験以外には余計なことが書いてありません。顔写真も添付されていませんし、生年月日や性別や未婚か既婚かさえも記載されていないのが普通です。ですから面接の当日まで、どんな人が来るのか皆目見当がつかないことも多々あります。

目の前に現れる候補者は黒人かもしれませんし、白人かもしれません。あるいはアジア系かも知れないし、ラテン系かも知れません。更に、未婚の方かもしれませんし、結婚していて3人子持ちの方かもしれません。イスラム教の信者かもしれませんし、仏教とかもしれません。

そして面接の場で、特に気を使わなければならいないのが「ポリコレ」なのです。

例えば、残業や休日出勤が可能なのか訊きたいとします。その際にはストレートに、「忙しい時には残業や休日出勤がかなり発生しますが、出勤可能ですか?」と尋ねればよいのです。間違っても、「お子さんはいますか?お迎えに早く帰る必要はありますか?」などと訊いてはいけません。お子さんを迎えに行くか、託児所に預ける時間を伸ばすのかは候補者の個人的な問題だからです。

あるいは募集している仕事が体力的にかなりきつい仕事だとします。応募者はどう見ても自分の父親ほどの年齢で、雇う側としては思わず「失礼ですが、お年はお幾つですか?」などと訊きたくなるところです。しかし、これもNGです。こういう場合には「この仕事は荷物の搬入がメインで、非常に重いものを頻繁に運ぶ必要があります。体力的に問題ありませんか?」などと言ったふうに尋ねればよいのです。

面接の場で聞いていいのは、あくまで職務への適性に直接関係ある質問だけです。信条も、宗教も、年齢も、結婚の有無も候補者のパフォーマンスとは関係ありません。唯一の例外は、例えば「身長180センチ以上の男性モデル募集」などのように、仕事の内容が特定の性や身体的な特徴を必要条件とする場合のみです。面接でうっかり子供の有無などを尋ね、就職差別で訴えられた企業も少なくありません。

ポリコレがもたらした世界

こうして80年代に萌芽したポリティカル・コレクトネスは、年を追うことに普遍的な価値観としてアメリカの文化に組み込まれて行ったのです。その結果、アメリカという国は外国人やマイノリティにとって非常に働きやすい場所になりました。特に思い切り左に振れているシリコンバレーなどはその典型でしょう。

そしてこの地には、全米、いや、世界中から優秀な人材がなだれ込んできたのです。

過去20年間にシリコンバレーで起業した全ベンチャー企業の半数以上は、移民が創業者になっていると言われています。グーグルのセルゲイ・ブリンは旧ソビエト、ホットメールのサビア・バティアはインド、ヤフーのジェリー・ヤンは台湾、イーベイのピエール・オミダイアはフランス、テスラのイーロン・マスクは南アフリカ生まれと、例をあげればきりがありません。

下はアップルの多様性に関するビデオ。アップルに限らず、シリコンバレーの企業はどこもこのような感じです。



そう、ポリティカル・コレクトネスはやっぱり大切なのです。

ポリコレ瓦解を喜ぶ人たち

ところが今回トランプはこのポリティカル・コレクトネスをこき下ろし、窓から投げ捨ててしまいました。これを見て、今までポリコレのせいで割りを食っていた(と感じてる)人たちは大喜びです。しかし結局のところ、ポリコレ放棄はアメリカに弱体化しかもたらさないでしょう。出自や肌の色や信条で差別されるところでわざわざビジネスを始めたり、就職したりするメリットなど何もないからです。



現にシリコンバレーに住む私の友人たちの中にも、黙って荷物をまとめる人たちが出てきました。911の直後にアメリカ中で外国人排斥熱が高まった時にも随分多くのエンジニアたちが黙って静かに出身国へと帰って行きましたが、今回も同じことが更に大きな規模で起きるのではないかと思います。

自由、平等と言った価値観を大切にしない国に、魅力的な人材は集まりません。逆に言えば、今ここでそうした価値観にしっかりと踏みとどまることができる国は、優秀な企業や人材を集めることができる可能性が大きく高まるのではないでしょうか?



「本気で英語を学ぶ人」のためだけのイングリッシュアカデミー、それがブライチャーです。「英語を本気でモノにしたい」そんなあなたの前向きな姿勢に、ブライチャーは本気でお応えします。