2013年11月30日土曜日

「思っていたのと違っていた」し「「これ以上興味を持てない」

 大学卒業直後、私はとある日本のメーカーに就職しました。誰もがするように、聞き映えのいい会社をいくつかピックアップし、面接を受け、内定を頂いた会社に入ったわけです。希望通り、プログラマーという職種でした。一部上場企業ですし、家族も大喜びでした。でも私は、そんな会社を僅か3年で去ってしまったのです。

 2年目を過ぎる頃から、どうにも会社が楽しくありませんでした。仕事がものすごくイヤだったというわけでもありません。でも、10年後もそこで働いている自分がどうしても想像できませんでした。30代の先輩たちは割と楽しそうでしたが、40代の人達はみんななんだか疲れた顔をしていました。みんな同じようなくたびれた背広を着て、遅くまで残業し、家と会社を往復するという、ごくありふれた日本の風景が目の前に広がっていました。

 3年目ぐらいでそんなふうに嫌気が差すのはよくあること……。周囲に相談すると全員からそう言われました。要するに五月病のようなもので、3年目、5年目、10年目ぐらいと、節目節目に嫌気がくるという話なのです。だからガマンして乗り切れ! そんな感じでした。

「思っていたのと違っていた」し「「これ以上興味を持てない」
 でも、どうにも我慢ができませんでした。どうしてなんでしょう? なんというか「思っていたのと違っていた」し「「これ以上興味を持てない」といった感じだったのです。3年目になって仕事は一通り分かったつもりでした。大きな会社でプログラマーをやると、早い時期から外注管理なんてやらされたりします。私は自分でもっとコードを書きたかったので、そこが食い違いの一つ目でした。まさしく「思っていたのと違っていた」し「「これ以上興味を持てない」、だったのです。

 それから「会社というシステム」そのものについての不満や疑問は非常に沢山ありました。コード変更よりも、変更したコードを品質保証に提出するための手続きのほうが煩雑だったり、給料がヤケに低かったり、ありとあらゆる書類にすべて上司のハンコが必要だったり、さらには30代、40代になってもあまり楽しそうでも裕福そうでもない先輩たちの姿だったり……。

世間知らずの甘ちゃんだった
 振りかえって考えてみれば、すべては自明なことだったのです。就職前にちょっと話を聞いてみればすべて知り得たことでした。就職するなら名前の知られた企業がいい……。その程度の意識で選択した会社だったのです。ですから、起るべくして起こったミスマッチでした。せっかく採用して頂いたのに、3年足らずでヤメてしまって申し訳ない限りです。

 大石哲之氏の「英語もできないノースキルの文系学生はどうすればいいのか?~就職活動、仕事選び、強みを作る処方箋」という本を読んで、退職に踏み切った頃の自分をまざまざと思い出しました。大石氏は説きます。「理想の仕事などどこにもない」と。「興味があることを仕事にするのではなく、むしろ得意なこと、過去に上手にできたことを仕事にしなさい」と。

 氏は続けます。

「終身雇用の会社も(武家社会の武士と藩主と)似たようなものです。忠誠さえ誓えば、スキルが未熟でもちゃんと教育してあげるし、長い時間(10年とか)かけて、それなりに育成しますよ。そのかわり、途中でやめないでね。絶対に会社の言うことを聞けよ、社畜でよろしく。」

 これを読んでしみじみ思いました。私はそもそも終身雇用の会社に何を期待していたんだろう? 終身雇用の会社で期待される役割なんて、そもそも社畜に決まっているし、給料は上がらず、ネズミ色のスーツを着て会社と家を往復するに決まっているじゃないか、と。まったく世間知らずの甘ちゃんでした。

青い鳥を探すなかれ
 氏の主張はこうです。若者よ、青い鳥を探すなかれ。現状を正確に認識せよ。自分を盛るな。ノースキルだったら、アジアに行って英語を職歴を身に付けてこい、と。

 47歳の今また次の事業を考えている私は青い鳥を探しているのでしょうか?

 耳が痛く、色々と考えさせられる一冊でした。若者でなくても、会社に対する不満でくすぶっているすべての若者、そして中年のオジさんにお勧めしたい一冊です。



 

2013年11月26日火曜日

可能性を奪う権利

親友の娘さんが殺された。

まだ18歳だった。

 彼女は友達と出かけ、そのまま行方不明となり、2日後に遺体となって発見された。犯人は一緒に出かけた男友達。ナイフで喉を一突きだった。

 訃報を聞いた俺は、土曜日の早朝に飛行機に飛び乗った。

 若い頃住んでいたアメリカ中西部の田舎町に着くと、粉雪が舞っていた。気温はマイナス8度。レンタカーに乗ってホテルへと向かう。途中、娘さんの遺体が発見された野原の脇を通る。通るクルマは少なく、自分のヘッドライト以外にはこれといった明かりもない。犬の散歩で通りかかった人が発見したという、亡くなったデニーの顔を思い浮かべた。

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 次の日に葬儀に向かった。午前中は家族と親しい友人だけの内々だけのセレモニー。順番に遺体に対面した。

すすり泣きが溢れる。

「No Young lady like her deserve to die like this. (若い娘さんがこんなふうに死ぬ謂れはないわ)」

ある老婦人が呟いたそんな台詞が耳にこびりつき、頭の中を何度もエコーした。

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 葬儀が終わると、俺は車に乗ってある施設へと向かった。そこは老人介護施設で、若い時に大変世話になったMさんが入院しているのだ。若い頃、アメリカで身寄りがなかった俺を、夏休みに、感謝祭に、クリスマスに家においてくれた。せめてもの恩返しと薪割りやら洗車やら買い出しやらを手伝ったっけ。厳しく叱られたこともあった。俺にとって、アメリカの父と呼んでもいい存在だった。

 まだオープンして半年しか経っていない施設は設備も整っており、職員の対応も非常に気持ちよかった。部屋番号を訊いてそこに向かう。途中で食事部屋を覗き込むと、父はそこに座っていた。奥さんがそばに座っていて、俺に向かって小さく手を振った。

 久しぶりに会うアメリカの父は、眼を閉じたまま時々何やら呟くだけだった。奥さんはご主人を揺さぶると、「パパ、ヒロシがきてくれたわよ。ほら、たまには眼を開けて」と何度も繰り返した。40分ほどそこにいたが、父が眼を開けることはなかった。時々眼を閉じたまま嬉しそうにニンマリと笑った。よくテレビの面白いシーンを見ながら、こんな顔をしていたっけ。

「アルツハイマーって本当にむごい病気だわ。ただの赤ん坊に還ってしまうのよ。」

 寂しそうに奥さんが言った。この家族と一緒に、息子さんのフットボールの試合を観戦したり、キャンプに出掛けた事があったっけ。俺の結婚式にもきてくれた。

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 葬儀場に戻ると、そこは人で溢れていた。平和な田舎町に振って湧いた悲劇。近所の人々や、死んだ娘さんの友人たちが肩を寄せあうようにやってきて、娘さんの死を弔った。

 訃報を聞いて他の州から車を飛ばして駆けつけてきた古い友人たち。思い出話に花が咲き、涙と笑顔が交互に溢れた。

 牧師の話があり、祈り、風船を持って外へと出た。氷点下の刺すような空気。全員が外に出ると、「Fly High Denny!!」のかけ声で、一斉に風船を離した。





 アルツハイマー、ガン、心臓発作、脳卒中。
 介護は大変だし、どんなに年老いていたって、肉親を失くすのは悲しい。それでも天寿を真っ当するのっては幸せだな……。何年も前に亡くなった実の父、さっき見たアメリカの父の顔、そしてデニーの死顔を思い浮かべながら、そんなことを考えた。だれもがみな黙ったまま、静かに風船を見上げていた。

 レセプションでの食事。友人がポツリと言った。

「どんなに辛く悲しくても、眠くなるし腹も減る。仕事にも行かなくちゃならない。時間はかかるだろうけど、そういう『日常』がきっとデニーの両親を癒してくれるよ。」

 確かにそうかも知れない。少しずつ痛みは薄れるだろう。でもきっと2人は深い哀しみと、やり場のないやるせなさと、誰にもこぼせない痛みを抱えて、ずっとずっと生きていくのだ。そしてデニーが戻ることは…… ない。

 誰もが天寿を全うする権利がある。

 上り坂や下り坂があってもいい。

 でも、

 他人の可能性を奪う権利は誰にもないんだ。



2013年11月17日日曜日

オンライン授業体験記

 先週、救命救急法の資格を更新してきました。

 前回2年前にこの資格を更新した時には、1回4時間の講義と実習を2回、合計8時間受講しました。最後に簡単なテストを受け、資格が貰えました。赤十字でも受講できますし、病院などで実施している所もあります。

Blended Learning
 今回受講して驚いたのは、この資格の対人での受講がわずか2時間になっており、後の6時間分はすべてオンライン化されていたことです。

 このオンライン授業が実によくできていました。8つのセクションに分かれており、ひとつのセクションごとに結構な量のケーススタディや小テストが挟まっています。それらのテストは納得いくまで何度でも受けられますし、好きなだけ教材のビデオを見直したり、マテリアルを読み直すことができます。こんな感じの画面でした。全部のマテリアルをこなすのに、結局6時間くらいかかりました。



で、最後にオンライン・テスト。これをクリアすると、「オンラインの部分をパスしましたよ」という証明が発行されます。それをスクリーンショットに撮るなり、プリントアウトして、実技のクラスに持参です。

 わずか2時間の実技のクラスはあっという間でした。前回講習を受けた時と同じ講師の方でしたが、彼女のほうも随分と楽になったようです。「紙の書類が減って本当に有り難い」としみじみと言っていたのが印象に残りました。

 実技の受講後は簡単な書類を記入して提出。認定書は、電子メールで郵送されるとのことでした。1時間後に家に着きメールを確認すると、もう認定書が届いていました。タイムスタンプを確認すると、授業終了の15分後にはもう着いていたのです。メールに添付されたリンクをクリック。そこには認定書がありました。


講師たちはどこへいく?
 オンライン講義を受けたのは、実はこれで4度目です。大学の講義が2回。交通違反の講習が1度。そして今回。どのオンライン講義も実によくできていて関心させられましたが、その都度考えさせられたことあります。

 それは講師たちの仕事の行き先です。こういったオンライン講義をまとめられるほどの力量を持った人は、多分あまりいないでしょう。また、これまで8時間だった講義が2時間になってしまったわけで、言ってみれば仕事量が1/4になってしまったわけですから、単純計算で講師陣の4人に3人は不要になってしまうわけです。ちょっと気になって尋ねてみたところ、実際のところ講師も教室も減らされる方向で、私が受けたサンノゼのオフィスも、別の赤十字のオフィスと統合すると言っていました。

今後どうなる?
 カーンアカデミーが話題になって以来、日本でも反転授業を推進する動きが出てきました。今後、ありとあらゆる授業が更にオンライン化するのは避けられない時代の流れでしょう。

 教材を作る側も、当分の間は試行錯誤が続いてゆくでしょう。どの部分をどのようにオンライン化するのか。クラスでの授業とオンラインの配分の最適化。宿題の出し方。手本なしでゼロから創り上げていかなければならない部分が沢山あります。

 過渡期には、従来のやり方や大勢の人々が淘汰されてしまうなどショックも大きいですが、新たに業界に参入し、ゼロから新しいやり方を創り上げるチャンスも沢山あります。今後どうなるにせよ、おそらく数百年に一度の面白いチャンスす。教育改革に飛び込むなら今。そう思わせてくれるBlended learning 体験でした。



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