2013年7月27日土曜日

「反省」ってどんなときにするんだろう?

 1週間前に書いた『「罰」の効果〜『反省させると犯罪者になります』』というエントリの続きです。 

子どもの頃から数えきれないほど数多くの過ちを犯してきた。が、正直言って反省したことなんてあまりない。見つかって叱られたりすると、見つかってしまった運の悪さに腹が立ったり、そもそも先に悪口を言ったアイツがが悪いとか、オレのことを先生や親にチクった相手が悪いとか、オレを叱る先生や親に腹を立てた。我ながら勝手。でもずっとそんな感じだった。

 「次は見つからないようにやろう………。」そう思ったことは随分あったけど、二度と同じ過ちを犯すまい……と思ったことはほとんどないのが正直なところ。

ところが……
 ところが強く反省し、思い出すと今でも恥じ入ってしまう過ちも幾つかはある。2つほど恥を忍んで書いてみよう。

 小学校3年生頃のある夏休み、オレと弟の2人だけで母の実家に1週間ほど泊まったことがあった。母の実家は東京から何時間もかかる田舎で、周囲は見渡す限りの田んぼが広がる。江戸時代から残る数々の古い民家。オレはこの田舎が好きで、夏休みにここに泊まり、蚊帳の中で眠って近所のお寺にお参りに行くと、なんだかタイムスリップでもしたような気分になった。

 宿泊中のある朝、ごはんを食べながら足をブラブラせていると、足先にコツンと何かがぶつかった。そっとテーブルの下を見ると、蚊取り線香が容器ごと横倒しになり、灰が床にこぼれていた。自分の家
だったらすぐに犯人探しが始まり、親父に怒鳴りつけられるか殴られるパターン。オレは知らん顔を決め込んだ。

 しばらくするとおばあちゃんが気付いた。「あら、蚊取り線香が転んじゃったわ」と言うおばあちゃんに、オレは聞かれてもいないのに「知らない!」と目をそらした。おばあちゃんは黙ってテーブルの下に潜り、灰を片付けると「さあ、これでキレイになった」と、何事もなかったかのように食事に戻った。おじいちゃんもその間一言も発せず、静かに朝食を食べていっけ。

 バツの悪さで顔が上げられなかった。その後も田舎に行く度にこのことを思い出した。今でも不意に思い出す。何故あのときに正直に謝って片付けを手伝わなかったのだろう……。

アメリカでも
 アメリカの移った当初、メアリー先生というお年寄りの尼さんに英語を習っていたことがあった。暖かい先生で、丁寧にオレの発音を直してくれたっけ。

 数年後、オレのところに先生から手紙が来た。シンシナティの老人ホームに入居しており、とても寂しいと綴ってあった。先生の優しい表情がすぐに思い浮かんだ。すぐにでも会いにいってあげたかったけど、クルマもなかった。返事を書こうと思ったが、気の効いたことが書けずにグズグズしているうちに日々が流れ、そして出しそびれてしまった。

 なぜあの時に、どんな拙い英語でもいいから、なにか出さなかったんだろう? 今でも後悔し続ける過ちのひとつだ。

なぜ反省したんだろう?
 もしも蚊取り線香を蹴倒した時に犯人探しをされたなら、多分「あんなところに蚊取り線香があるのが悪い!」って考えて、ずっと反省しなかっただろう。メアリー先生への手紙だって、親に人の道なんて説かれたら、言い訳を考えることに全エネルギーを使っただろう。

 でも誰にも咎められないからこそ、本当は間違っていた自分を直視せざるを得なかった。そして今でも脳裏を去らない苦い思い出。反省って、人に咎められるとかえって出来ないのかも知れない。

親や教師は何ができるんだろう?
 じゃあ親として、教師として、何をすればいいんだろうか? ただ野放しにすればいいんだろうか? 子供と一緒に頭を下げればいいんだろうか? 叱りつけるのは? 反省文は?

 多分、「どうして悪いことをしてしまったのか?」という問いかけを促すことが大事なんだろう。蚊取り線香を蹴飛ばしたことを正直に言えなかったのは怒られるのが怖かったからだし、メアリー先生に返事が書けなかったのは、気の効いた返事を出したいなんて、自分の見栄を優先したからだ。

 そういう原因究明をキチンとしてこそ、やっと自分の過ちを胸に刻めるのかもしれない。

 罰を与える、ということと原因究明は別に考えるべきなのかも知れない。 どういう罰を、どんなふうに与えるのがいいんだろう?

 『反省させると犯罪者になります』を読んで以来、今のところ考えたことはここまで。まだまとまらない。次には、罰の在り方、親が教師が出来ることを、具体的に考えてみたいと思います。




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2013年7月21日日曜日

「罰」の効果〜『反省させると犯罪者になります』

 どんな人だって、生きている限り「過ち」を犯してしまう。

 友達から借りて返すのを忘れてしまったお金。あるいは悪友に誘われて断りきれずにやってしまったタバコや万引き。些細な口論から始まった友達との絶縁。ヤケになって辞表を叩きつけた会社。

 「過ち」を犯してしまうこと、そのこと自体は多分仕方がないことだろう。子供のとき、そして若い時には特に仕方がない。だってまだ右も左も分からないんだから。悪いことをは知らずにやってしまったり、後先を考えなかったり、誘惑に負けてしまったりと色々なことがあるだろう。

 大切なのは「過ちを犯さない」ことそのものではなくて、「過ちから学んでいく」という態度なんだと思う。そうやってオレたちはみんな、さまざまな過ちを犯し、周囲の人々に迷惑をかけつつ、少しずつ学んで行く。

航空機の事故調査
 航空機って人間は生み出した移動手段の中でもっとも不安定なものなのに、もっとも安全な乗り物として知られている。事故に合う確率は、8200年間毎日飛行機に乗っても遭うか遭わないかと言われるほどにまで低いのだ。

 事故調査の際に刑事責任や民事責任を関係者に課さないという原則が確立されているため、罰を与えることよりも原因究明や再発防止が最優先される。そうした決まりのお陰で事故調査が進み、年を重ねるごとに、より安全な乗り物として進化していったのだ。

自分はどうだったけ?
 じゃあ僕らが子どもたちや中高生や新入社員らが過ちを犯した時に、原因究明や再発防止をしているんだろうか?

 門限に間に合わなかった子を怒鳴りつけると門限を守るようになるんだろうか?

 宿題を忘れた子をみんなの前で叱りつけると忘れなくなるんだろうか?

 万引きした少年に反省文を書かせ、お店に謝りに行かせると2度と万引きしなくなるんだろうか?

 イジメをした子は?

 仮に再発しなくなったとしても、それは単に「割に合わない」からしなくなるだけであって、割に合うなら、あるい見つからないのなら、またすぐに同じ過ち、あるいは同じ罪を犯すんじゃないだろうか?

 オレ自身、子どもの頃に随分とお説教され、怒鳴られ、殴られた。特に父親にはしばしばこっぴどく殴られたっけ。そしてその都度、いつか体が大きくなったら仕返しをしてやろうと、憎しみを溜め続けた。そもそも叱られた原因なんてあっという間に忘れてしまった。

 反省などした事は一度もなかった。本当にただの一度も。

それどころか、そのうちに段々と殴られることに慣れてしまい、「まあどうせ悪さして見つかっても殴られるだけだ」と開き直っていた。

親として、指導者としての自分は?
 かく言う自分も、自分自身が親になったときに、随分と子供を叱りつけた。

 なぜ子供が過ちを犯すのか、原因究明なんてしたこともなかった。厳しく罰すれば、罰せられることを恐れて過ちを犯さなくなるだろう。そんなふうに考えてた。結局、あれほどイヤだった自分の父親と大差なかった。さすがにしょっちゅう殴るようなことはしなかった。でも、息子とホンキで関わったことなんて、一度もなかったように思う。

 子供が14歳の時にキッチリと反抗をしてくれたお陰で、ようやく目が覚めた。怒鳴ったって、叱ったって、反省文書かせたって意味ないんだ。初めて子供の話を真剣に聞き、彼の苦しみの原因はどこなんだろう?って考えた。何故彼は、自分の価値が下がってしまうような、馬鹿げたことを色々とやるんだろう?

 思い当たることは沢山あった。その原因の多くは、彼じゃなくって父親であるオレ自身にあった。息子の葛藤に気付いてあげることなんかなかったし、同じ目線に立ってあげることもなかった。そんな自分を恥じた。反省するべきは息子よりもむしろ俺自身だった。

 それから4年が過ぎて、ちょっとばかりはマシな父親になれたように思う。実は自分がそう思っているだけで、まだまだなのかも知れないけど。


反省なんて意味がない
 今回の参院選で当選したワタミの前会長、渡辺美樹氏が理事長を務める中高一貫校では、不良行為が発覚した生徒に400字詰め原稿用紙100枚の反省文を課しているという(週刊文春より)。学校側はその理由を「二度と同じ過ちを繰り返さないという気持ちになってもらいたい」からだと説明している。そんなことさせて反省なんてするかな?見つかって運が悪かった。みんなだってやっているのに……。今度から見つからないように気をつけよう。そう思わせるのが関の山だろうな。そして高校時代を人生の中の最悪な1ページとして記憶するだろうな。渡辺美樹氏が今後、国会議員という立場でどんな教育政策を推進して行くのか、注意深く見て行く必要があるでしょう。
 
 そんなことを考えさせてくれる一冊、それが「反省させると犯罪者になります」という一冊です。ずっしりと来ました。

 累犯受刑者の更生支援に関わってきた著者、岡本茂樹氏の言葉は重い。子育て真っ最中の親御さん、教育関係者の方々には是非是非強くお勧めしたい一冊です。良書です。

 まだまだ書きたいことが沢山あるけど、長過ぎるので今日はお終い。続きは次回に。


PS: 続きを書きました。『「反省」ってどんなときにするんだろう?』です。




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2013年7月15日月曜日

ホントにね、天上天下唯我独尊なんだよね

 昨今、企業は面接の時に個性的な人材を発掘しようとあの手この手で必死のようです。面接される方もいかに個性的な体験をしたか一生懸命アピール。そんな話を良く聞きます。

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 個性的と言えば忘れられないのが小学校3年生の時に同級だったI君。

 I君はなんとなく馬が合いました。隣の席だったこともあります。

 I君は楳図かずおの大ファンで、「漂流教室」や「まことちゃん」などを全巻揃えており、ノートにはどのページも楳図かずお風の恐ろしい絵が沢山描いてありました。下ネタも大好きで「う○こカレー」とか「ゲ○お好み焼き」などのコンテンツも沢山描かれていました。教科書の挿絵はすべて加筆され、どれも夢に出てきそうなほど怖い挿絵に変わり果てていました。遠足の日にはなぜか「とても怖い心霊写真集」を持ってきていたのをよく憶えています。

 中3の時に再び同じクラスになったのですが、相変わらず恐ろしい絵を描きまくっていて、なんとも言えない感動を憶えてしまったことが今でも忘れられません。

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 アップルに勤めていた時に私の部下だったBさんも相当に個性的でした。

 Bさんは私より20ほども年上で、創業当時から勤めている超古株でした。創業者ウアズ二アック氏の友人。このBさん、些細なことで腹をたて、相手かまわず怒鳴り散らし、細かい事にこだわり、協調性はまるでゼロ。趣味はレゴで、給与の大半をレゴにつぎ込み、家のガレージがレゴだらけでクルマが入らない有様でした。在職中からレゴクラブを設立し、レゴの展示会とかコンベンションをやっています。

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 またアップル時代にご一緒させて頂いたTさん。あまりに自分流のやり方にこだわった挙げ句、会社をヤメさせられてしまいました。なにか曲げられない信念があるらしく絶対に仕事のやり方を変えようとしませんでした。ああ言えばこう言うで説得不可能。絶対に一緒に仕事をしたくない方でした。

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 日本企業が本当に個性的な人を欲しているなんて私には到底思えません。本当に個性的な方々はどの人も使いづらく、凡人には理解し難く、また個性の方向が仕事に役立つとは限らないのです。

 Bさんのレゴへの情熱がアップルの仕事で生かされることはありませんでした。でも彼がいることで、シリコンバレーのレゴ野郎たちは毎年楽しいコンベンションに出席したり、自分の自慢の作品を見せびらかす機会ができたわけです。

 Iくんは漫画家になったか、あるいはただの不気味な中年のおっさんになったのか、その後音信不通なので私には分かりません。でも彼の情熱は不気味な絵を描くことで、断じて勉強などではありませんでした。きっと自分の生きやすい場所を見つけているのではないかと思います。

 Tさんはホームページ開発会社を興したとか聞いています。その後は不明。

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 この3人の個性的な面々に共通しているのは、自分の欲望に正直に従い、自己実現をしている点です。私なんて周囲の期待に応えようと必死で、分かりやすい出世をしましたが、自己実現とは真逆の方向に向かっていました。

 私は在職中、要領が悪くて自分勝手で口が悪くて怠け者という、本当の自分のキャラが自分でもどうしても受け入れられず、世間や両親が受け入れてくれそうな勤勉善良キャラを一生懸命演じていたのです。

 本来の自分から乖離した生き方をするとけっこう息苦しいものです。私の親は多分大満足だったでしょう。でも、私自身はいつも疲れ果てていました。

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 「キャリアポルノは人生の無駄だ」(谷本真由美著)を読んでみたら、このおかしな3人の古い友人のことを思い出しました。そして息苦しかったアップル時代。
 
 自己啓発本なんて読むことないし、凄い人にならなくてもいいし、仕事だけが自己実現の場じゃありません。自己実現はラジコンでもレゴでも不気味な絵でも、自分がやりたいように自分のペースで仕事する、でもいいんじゃないでしょうか?

 仕事で自己実現できる人生なんて、多分稀です。そして人生は一度きり。人の期待値に沿えなくても、変態でもアホでも人付き合いが悪くても、まっさらな自分の姿を受け入れてしまったほうがずっと楽です。

 天上天下唯我独尊。

 自分は自分しか居ないだしね。で、その上で自分なりに生きやすい形を考えていく。多分それが楽でハッピーな生き方です。

PS.献本ありがとうございます。とっても面白かったです!


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2013年7月13日土曜日

「和訳」〜それは最悪の英語学習法


 英語ってダイエットや美容と同じく、巷に情報が氾濫している割には何故かあまり成功例を目にしない、実に不思議な代物です。

 英語、美容、ダイエットは永遠にビジネスが成立しそうな感じです。

 自分自身はそれなりに英語習得で苦労しました。しかし、日本で英語教育を受けていない自分の子ども達がサクッと英語を憶えたのを見て、やっぱり日本の英語教育ってなにか根本的な部分で外しているな、とずっと思ってきました。

 ではその「外している部分」ってどこなんでしょう?

 それは「英語を英語のまま憶えない」ところなんです。

英語脳を作る
 私たちは日本語を聞いた時に、それをそのまま日本語で理解しています。日本語を喋る時にも、日本語で考えています。つまり、私たちの頭の中は日本語を瞬時に解析できる回路が出来上がっています。これを仮に「日本語脳」と呼ぶことにしましょう。

 英語を出来るようになりたかったら、同じような英語解析回路を脳内に形成すればいいんです。「英語脳」を作るんです。当たり前ですよね、考えてみれば。

 日本人は子どもの時から日本語で話しかけられ、日本語のテレビを見て育ちます。日本語を日本語のまま憶えていくんです。

 でも私たちが英語を学習するときには、何故かこの回路生成プロセスを踏んでいないんです。

和訳〜それは最悪の英語学習方法
 学校の英語教育で何をやるかというと、単語カードを作って表に英単語、裏に日本語を書いて憶えていきます。そしてテストでそれを確認。

 やることといえば要するに大量の和訳の訓練です。

 そして和訳が正しくできることを何度も何度もテストで確認していきます。

 英語学習のABCのところとから、すでに日本語を介在させてしまうんです。いったいこんなやり方で「英語脳」が育つんでしょうか?

 私たちは英語の勉強をしているんじゃなくて、和訳の方法を勉強しているんです。そしてこの弊害は考えても見ないほど大きなものなのです。

和訳癖の弊害
 海外赴任などでアメリカに駐在なさる方々は、みな日本で少なくとも10年間は英語の勉強をし、有名大学を卒業した方ばかりです。ところが彼らが駐在先に来てみると、現地社員とロクに雑談にさえできないのです。

 日常会話とは早いものです。野球の話から政治の話、社内のゴシップ……。そういう速い会話のテンポに付いて行こうと思ったら、頭の中で英語を日本語に置き換えている暇なんてないんです。

 会議でもダンマリ。付き合いでもダンマリ。日本でずっと成績優秀だった人々がこうなってしまうのは、彼らが普通の人よりもむしろ和訳に長けているからではないかと考えてます。和訳癖があまりにも強く身に付いてしまい、そこから抜け出せないんです。

そもそも英語と日本語では思考の順序が違う
 もっと切実な問題として、英語と日本語では考える順番がまるで逆、という点があります。英語は、英語で思考してこそ喋りやすいんです。英語の文章では普通結論を先に言い、理由は後から説明します。日本語はまるで逆。

 ですが日本ではずっと「That以下を主語の後ろに持ってきて……」などとやり続けるため、折り返し癖などがガッチリと定着します。でもNativeは考えた順番通りに喋っているんです。That以下を先に考えておいて、それを後回しにして喋っているわけではないんです。

 ですから和訳をやり続けていると、英語の思考順序がまったく育ちません。

 言ってみれば日本の学校でやっている英語教育は、英語学習というよりも

和訳道 なんです。

ではどうすればいいのか?
 ではどうやったらいいんでしょうか? 話は簡単。英語は英語のまま憶えればいいんです。

 英単語を憶える時は英英辞典で引いて、英語のまんま憶えればいいんです。遠回りに見えても脳内回路の形成にはこのほうが結局早道です。

 お決まりのフレーズは英語で丸ごと暗記。英語の映画は英語のままで観る。英語の字幕は出しても、日本語字幕は出さない。簡単な内容から、段々難しい内容のものに移行していきます。そうやって沢山聞いて、沢山読んで英語回路を作っていきます。

 私たちはみんなそうやって日本語を覚えてきたんです。

 喋るのはどうするかって?、喋ってみて、間違いを訂正してもらえばいいんです。そうそう、発音やイントネーションはNativeに訂正してもらうのが一番早いです。今はオンライン英会話スクールもある時代です。利用しない手はありません。

量をこなそう
 学校の成績なんて関係ありません。私、高2時の英語の成績、10段階で2でした。ただ英語の本を沢山読んで、暇さえあればFENとか聞いてました。それは相当効いたと思います。Youtube、PodCast、Kindle。なんでも利用しましょう。

 英語は英語のまま扱う。そして沢山量をこなす。それ以外にコツなんてありません。




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2013年7月8日月曜日

長生き時代は工夫がだいじ

 現代の年寄りは元気だ。

 自分の半径3メートルくらいの話で申し訳ないのだけれども、今年78歳になる母親は週3回、毎回1キロプールで泳いでて40代後半のオレより運動している。スポーツクラブも老人が沢山いると言う。去年iPadを買ってあげたら楽勝で使いこなしてホテルや鉄道もネットで予約。あちこち旅行にいそしんでいる。

 義理の母だってもう70歳なのに、どう見てもやっと60くらいにしか見えないし、こちらもまた元気に遊び歩いていて、アメリカに遊びにくると一人でほっつき歩いて美容院を見つけ、髪の毛まで切ってきてしまう。冒険心も十分。

 日本に帰ると、電車の中は若々しい老人でいっぱいなのだ。

オレたちはもっと若い老人になる
 オレは今47歳で、眼はそれなりに老眼だけど、自分の父親が47歳だった時と比べると、客観的に考えても多分そうとう若いと思う。週末も20キロほどハイキングしてきた。定期的にジムに通い、腹筋がうっすらと割れ、学生時代のジーンズがまだそのまますっぽりと履ける。

 これは自分だけのことではなくて、今の中年は太っている人が少ない。女性だって若々しい。自分の両親が40代の半ばだった頃の写真を見ると、現在自分の周りにいる50代の半ばくらいに見える。多分オレたちの世代は親の世代よりも肉体年齢が10歳くらい若いと思う。(えっ、精神年齢も10歳幼いですかそうですかそりゃどうも)

伸びる寿命
 これは何を意味するのか?それはさらなる寿命の延長だろう。親の代の寿命は80歳半ばから後半だが、オレたちはけっこう高い確率で100歳ぐらいまで生きてしまうかも知れない。 

 でもねえ……。困った問題は結構ある。例えば新築で家を建てる。木造の建築耐用年数は30年。でも40歳で建てても、70歳の時に耐用年数がきてしまう。その先まだ30年寿命があるってけっこう厄介だよね。

 オマケに定年を延長しようとか、年金の支給年齢を65歳、あるいは70歳に引き上げようかとか。つまり20歳で就職したら50年働かなくちゃならない。50年も働きたいかな? 

 年金のことを差し置いても、仮に100まで生きたら自分の介護するはずの息子や娘が70歳とか普通にあり得るわけで、なかなか難しい問題。それに子どもいない人増えてるから、自分1人ぼっちで100歳とかね。

じゃあどうする?
 じゃあどうしたらいいのかな?って考えて自分なりに達した結論が、あまり先のことを考えすぎず、10年単位ぐらいを一区切りにして考えていこうってこと。人間の想像力が働くのってせいぜい10年先ぐらいまでだし、これだけ移り変わりが激しい時代だと10年先ですらどうなるか分かったもんじゃない。長くても10年1サイクルぐらいで人生を見直し、その時々に住みたいところに住み、就きたい職業に付き、新しいことにチャレンジしていけばいいや、って。

 気が付いたら23で就職してから47歳の今までに、会社を4回変わり、引っ越しは9回。24年でこれだから、2年7ヶ月に一度は引っ越しし、6年に一回は転職している計算。

 てなことを考えていたところ、ちょうど読んだのがちきりんさんの「未来の働き方を考えよう 人生は二回、生きられる」でした。

 著者も割の俺と似たような経歴で似たような考え方の持ち主(と思う)。ちきりんさんは「まとめる力」が高くて、社会が激変していく中をどうやってワクワク生き抜いていけばいいのか、とっても上手にまとめてありました。

 いまアラフォーで先を悩んでいる人やまだ20代で就職したばかりの人も、是非読んでみるべき一冊って気がします。おすすめです。

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2013年7月7日日曜日

「馬には乗ってみよ、人には添ってみよ、そして本は読んでみよ」

 まだ高校生ぐらいだった頃、大人になったら、満員電車に揺られて会社と家の間を行ったり来たりするだけの、ネズミ色のスーツを着たつまらない大人にはなりたくない、なんて生意気なことを考えていた。

 現実には、ネズミ色のスーツを着て通うような会社に就職するのってけっこう大変。少なくとも当時の自分にはまったく不可能だった。

 それでいて、どんな職業に就いてどんな生活をしたいのか、イメージさえも持っていなかった。自分こそただ制服を着て学校と家の間を往復しているだけの、ごく平凡なつまらない高校生だった。

いつも本が教えてくれた
 唯一読書が好きで、学校で学んだことはほとんど何も憶えていないのだけれど、暇さえあれば叱られるほど本ばかり読み耽っていた。そういえば人生の岐路に立った時、いつも読書に没頭して答えを見つけようとしたっけ。

 そんなことを思い出せてくれた一冊。それが先日対談させて頂いた小飼弾さんからご献本頂いた「本を読んだら、自分を読め 年間1,000,000ページを血肉にする読自の技術」だった。

 俺は小飼さんを始めとする読書家の人に比べたら別に読書家というほどではないけれども、それでも本の置き場所にかなり困るくらいには読んできた。そして本以外にも、周囲の先輩や大人たちやも随分色々な影響を受けた。

 勝手に個性がないと決めて付けていたネズミ色のスーツのオジさんたちだって、それぞれ豊かな人生を送っていて、自分が世間知らずなだけだったって、色々な人と交わることで、やがて分かってきた。

馬には乗ってみよ、人には添ってみよ
 本という媒体を通じてその筆者や登場人物から影響を受けるにせよ、リアルで他人から影響を受けるにせよ、人間という生き物は、他人から有形無形の影響を受けて成り立っている。だらしのない奴らとツルめば自分の中の基準が下がってだらしなくなるし、辛気くさいヤツとつるむと気が滅入るし、面白いヤツとツルめば楽しい思いをできるし、一生懸命生きてるヤツとツルめば自分が引っ張られる。だからそのときどきの自分の成長に応じて、付き合う相手、住む場所を変えて、自分をちょっとずつ、より好ましい方向に持っていく。こういう感覚って多分とっても大切。

 でもどんなヤツが自分の視野を広げてくれたり、新しい楽しみを教えてくれたり、自分を引っ張ってくれるのかなんて、色々なヤツと付き合ってみないと分からない。同様に、色々な作家の、色々なジャンルの本を読んでみないと、自分の中の宇宙が広がっていかない。

「馬には乗ってみよ、人には添ってみよ」

って言う言葉があるけど、

「馬には乗ってみよ、人には添ってみよ、そして本は読んでみよ」


と思わせてくれる、なかなかの良書でした。



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2013年7月5日金曜日

「いとしのエリー」を録音

これ、去年のクリスマスイブの前日に一度ポストしたんだけど、ちょっとこっ恥ずかしいような気がして落としていました。

ちょっと思うところあって再アップ。

Enjoy!!

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昨日、ウクレレを弾いて遊んでいたら、息子が録音しようと言う。

せっかく機材もセットアップしてくれたしで、断るのもヤボだから弾いてみました。

息子がギターで、オレがウクレレ。練習なしのぶっつけ本番。意表突いてまともに録れました。

曲は「いとしのエリー」。息子よ、付き合ってくれてありがと!







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