2012年9月24日月曜日

子供という名の装飾品


子供は親のアクセサリー??
子供って親のアクセサリーなんじゃないか?って思うことがあります。

僕らが生まれた頃から、子供は自然と出来てしまうものから、計画的に作るものに変わったように思うんです。

で、なんのために作るのか、っていうと「幸せな家族」というフィクションを演じるためです。

どっかのホームドラマみたいに、働き者だけどおっちょこちょいのお父さん、そんなお父さんをやさしく見守るお母さん、真面目で勉強の出来るお兄ちゃん、おしゃまな妹、そしてお調子者の末っ子、みたいな。

そしてそんな役柄をみんなで一生懸命演じるんです。

引き立て役としての子供
わざわざ計画して作る子供ですから、自分の役を引き立ててくれなくちゃ困ります。

昔みたいに偶発的に出来ちゃった子が、しかも沢山いるならまあ一人くらい鼻水垂らして走り回っててもいいでしょう。でもこの時代は子供って限りなく親の装飾品じゃないでしょうか?

せっかく計画して作って、その物語を維持するために汗水垂らして働いているのに、子供がこ汚くて、鼻水たらしてて勉強もできず、ケンカばかりなんていうのじゃ装飾品になりません。

お母さんもお母さんなりに演じたい役があります。いくつになっても素敵なママ。物わかりが良くて、やさしくて、子供が間違いを犯すとやさしく諭してくれます。

まあお父さんとお母さんはこれを意図してやるんですからまあいいでしょう。

でも子供は親を選べませんから、なんか自分のキャラに会わない役柄を押し付けれられたりすると大変です。

オマケに妙に気合いの入った名前とか、あるいはヘンなDQNネーム付けられたりね。

そしてミキハウスかなんかの服を着せられてね。連れて歩くと可愛い子をやらされたりします。

旅行に行けば写真やビデオを撮られ、なんでもかんでもフェイスブックやらブログやらにアップです。

端的に言ってしまえば、プードルとかそういう愛玩犬とさほど変わらないような気がします。

その役は合っているのだろうか?
役柄と地のキャラが合う子はいいんです。でも、なかなか両親が望む役柄は演じきれません。

だから、段々と子供に自我が芽生えるとなかなか思い通りの家族ドラマになってくれません。

自分の子供の時を振り返ってもね、なまじ高学歴で裕福な家に生まれたから、そういう期待値に沿って生きるの、けっこう大変でした。今でもちょっと失敗すると、なんだかシナリオを演じ切れてなくて申し訳ない気がしたりします。

私も90年代に2人の子供の父になりましたが、子供にそういう装飾品的な役割を期待していなかったか?と聞かれると否定しずらい部分もあります。

別にプランド品も着せなかったですし、DQNネームを付けませんでしたが、「そこそこ人並みに」という逆にかえって演じにくい役柄を期待してしまったような気がします。

人によってはいい高校、いい大学、いい就職先と色々期待するものもあるでしょう。しかし子供がそういう道を歩みたいかどうかは何とも言えないものです。

フィクションという自覚
ただ、子供に何も期待せずに育てる、というのも実際問題として難しいでしょう。

だから何だって期待してもいいような気もしますし、適度にフィクションの役側を押し付けることも、まあいいんじゃないかな?って思っています。

ただ、「これはフィクションなんだ!」っていう自覚が親側に必要なんだと思います。そうすればね、そのフィクション通りにならなくても別にそんなにショックも受けないでしょう。

そして健気にフィクションを演じてくれる子供がいとおしく思えたりします。

私はこれから子供の学費がかかる時期ですが、家族という物語の仕上げ編なのでしょう。

まあせいぜい一生懸命お金を稼いで、これまで役柄を演じてくれた子ども達に恩返しをしたいと思います。



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2012年9月16日日曜日

ジッポライター

グレッグ(仮名)は派遣社員として、とあるフルーツのロゴの会社で働いていた。

グレッグは驚くほど仕事ができた。

コードもバリバリ書けるし、レポートもしっかりしている。面倒見がよくて人望も厚い。

やっと二十歳過ぎの高卒とは思えなかった。

彼の上司は彼を正社員として雇うことにした。

グレッグは大喜びだった。

ところがグレッグの正社員昇格はあえなく潰えてしまった。

グレッグには少年時代の犯罪歴があったのだ。

18歳未満で犯した犯罪は5年間記録に残ってしまう。

グレッグは正社員になれないばかりか、派遣社員の立場さえをも追われてしまった。

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グレッグは中学生の頃、事故で父親を亡くしてしまった。

お父さん子だった彼はあっという間にグレ始め、タバコ、薬、暴力事件をエスカレートし、やがて警察から逃げようとした挙げ句、車を大破させて御用となった。

それが17歳の時。

腹を立てた母親は身元引受人になることを拒み、グレッグは留置所で1週間を過ごした。

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そんな彼を変えたもの。それは父親の形見のジッポライターだった。

あるときスノーボードに行ったグレッグは、リフトの上で一服しようと、タバコをくわえ、ライターで火をつけようとした。ところが

ポトリ

とライターが彼の手から、遥か下の雪面へ落ちていった。

グレッグはリフトを降りると慌ててライターを落としたところに戻り、ライターを捜し始めた。

2メートル以上もの新雪が積もったばかりのスキー場。

そこでグレッグは日が暮れるまで雪を掘ってライターを捜した。

が、そのジッポライターは遂に見つからなかった。

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「死んだ父親にさえ見捨てられたような気がしたんですよ」

グレッグはその時のことを振り返って言う。

グレッグはその日を境に変わった。真面目に勉強をはじめ、独学でプログラミングを憶え、派遣社員として何社かを転々とした後、冒頭にある通りフルーツのロゴの会社にやってきた。

が、努力は実らず、つまらない若かりし頃の犯罪歴のせいで、正社員への道は途絶えてしまった。

しかし彼はそんなことではめげなかった。

働きながらオンライン大学の授業を受講し、4年かかって卒業証書を手に入れた。

その頃、17歳の時の犯罪歴がようやく記録から抹消された。派遣社員として転々としていた彼は、再びフルーツのロゴの会社へやってきたのだ。

以前自分を正社員にしようとしてくれた上司はもう居なかった。その部署のトップは背の小さい日本人になっていて、職場の雰囲気も以前とはずいぶん変わっていた。果たして2度目のチャンスはあるのだろうか?

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その頃オレは、フルーツロゴの会社で、ちょっとばかり偉くなって40人ほどの部下の面倒を見る立場になった。

最近臨時採用した契約社員のグレッグは、目を見張るほど仕事が速い男だった。にこやかで腰が軽く、努力を惜しまない。そんな彼の真摯な姿勢に共感を憶えたし、その辺の正社員よりもよほど仕事ができた。

そんな折り、一名の退職者が出たので、グレッグを正社員にして穴埋めしようと考えた。

グレッグをオフィスに呼んで本人の意向を確認してみた。すると:

「松井さん、お言葉は嬉しいんですけど、俺、17歳の頃に犯したつまらない犯罪歴があるんで、多分正社員にはなれません。」

「えっ、そんでお前今歳いくつ?」

「25です。」

「じゃあもう消えてるじゃないの?」

「そうなんですけど確認しようもなくて。それに5年じゃなくて8年経たないと消えないと聞いたこともあるし…」

「まあまずは確認しようぜ」

「はい…。」

そんな会話があって、オレは人事部の友人に掛け合って、内密に彼の記録をチェックしてもらった。

すると、犯罪歴は抹消されていたのだ。

その2週間後、彼は正社員として仲間の一人に加わった。

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それから10年以上の月日が経ち、グレッグはフルーツのロゴの会社から検索会社に移り、そして今ではソーシャルネットワークの会社で働いてる。

オレは彼となんとなく馬が合い、時々一緒に酒を飲んだり飯を食ったりする。

留置所に迎えてきてくれなかった母、無くしてしまった父親のライターが彼の背中を押してくれた、と彼は言う。

今、思春期の子供を持ち、苦労している親御さんも多いだろう。

オレもそのうちの一人で、色々と手を焼いている。

グレッグは稀な例なのかもしれない。

でもグレッグは確かにいて、そして今日もくったくなく笑い、激しく仕事をし、仕事の合間にトライアスロンやスノボに明け暮れている。

躓いてきた男のほうが、むしろ魅力があるのかもしれない。

彼を笑顔を見ていると。いつもそんな気がする。



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2012年9月11日火曜日

引きこもり予備軍の糞袋くんへ(Pt .3)



Pt .1 はこちら

Pt .2 はこちら

1年ぶりに日本に帰ってきた。

もう一度高校2年生をやり直しとなった。
アメリカの高校では、何も分からずにただ1年間教室に座っていただけなので、なんの不満もなかった。むしろやり直しの機会ができて嬉しかった。

帰ってきた直後に自分のその後に大きな影響を及ぼす2つの出来事があった。

ひとつは弟の病気。

オレがアメリカの行っている間に、弟が極めて稀な骨の病気にかかってしまい、手術を受けなければならないという事態が進行していたのだ。

スポーツ万能の弟は高校も体育推薦で進学。しかしこの手術は彼のスポーツ選手としての終わりを意味するのかもしれなかった。彼がスポーツを失うことは、オレが水泳を失うのとはあまりにもレベルが違った。オレはせいぜい県で2、3番だったけれども、彼は全国区で活躍してた。スポーツは彼そのもの、と言ってもいいような弟に15歳でこの運命はあまりに過酷だった。以前はオレのことで憔悴し切っていた親が、今度は弟の病気のことで憔悴し切っていた。

掛ける言葉もなかった。彼は一体どうやってこれからを生きていくんだろうか?

この出来事は静かに、しかし強烈にオレの背中を押してくれた。
しかし弟のためにしてあげたことと言えば、アメリカから買ってきた大きなビーチタオルを渡しただけだった。現実にしてあげられることなどなにもない。運命をしずかに享受する弟が可哀想でならなかった。

もうひとつは出会い。

この頃初めてあこがれの対象になるような大人に出会った。成り行きで習い始めた合気道の先生。まだ30代と若く学歴もないこの先生は、バイタリティとフットワークの軽さを生かし自分の商売を大成功させていた。副業の道場も大繁盛。この人は、今まで会ったどんな大人とも違っていた。どこかで聞いたような能書きを垂れるのではなくて、なんでも自ら実践し、アツい言葉で自分の夢を語った。その後アップルで管理職になったときに役に立った「失敗を恐れずに繰り返す」、「人の統率のしかた」、「勇気の与え方」、「オープンな雰囲気の環境作り」などはすべてこの時に学んだ。

以前は将来の目標なんてなかったけど、なんとなくおぼろげながら、英語を生かした仕事に就きたい、と思いはじめた。そのためにアメリカで大学に行こう。そう決めた。そして人生で初めて自主的に勉強を始めた。

どうせ頭が悪いので、あれこれやるのは止めにして勉強は英語だけに的を絞った。デル単の丸暗記とペーパーバックの乱読とTOEFLの問題集を繰り返しやり込む。これだけを1年半続けた。

すると不思議な事に、英語しか勉強していないのに他の教科も成績が上がったのだ。もっとも留学以前のレベルがあまりにも低かったし、底辺高校だから上がったと言っても知れているが、勉強をしているうちになんとなく脳が活性化したのではないのかと思う。

最初のうちは30分勉強するのさえ苦痛だったのに、いつの間にか3時間以上続けて勉強できるようになった。やがてすべての授業中に英語の本を読むようになった。段々と起きている時間は全部英語の勉強という感じになってきた。

塾も何も行かずにただ家で勉強を続け、高3のはじめ頃に初めてTOEFLを受験してみた。

430点。

アメリカの大学に進学したかったら最低500点は必要だった。

冬に2度目。

470点。

なんとなく感触が掴めてきたので渡米資金を作るためバイトを始めた。

友達が進学や就職で忙しくなった頃、取りあえず語学留学の手続きを整え、バイト代を叩いて片道切符を買い、ひっそりとアメリカに渡った。

そして渡米直後に3度目のトライ。

500点を越えた。

その9月から糞袋だったオレは大学生になった。

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引きこもり予備軍の糞袋くんたちへ

「やれば出来る」は本当だったよ。

オレみたいな糞袋でもどうにかなったから、多分君も大丈夫。

自分のダメなところに正直に向き合おう。辛辣な批判を正面から受け止めよう。多分それが糞袋卒業の第一歩。

友達への見栄とか親がうるさいとか関係ないんだ。

生きていくのは君自身なんだからさ。

そんなこと言っているうちは君は君自身から逃げている。

逃げない。誤摩化さない。言い訳を探さない。

大丈夫。きっと出来る。

まだ見たこともない世界が、君を待っているよ。









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2012年9月9日日曜日

引きこもり予備軍の糞袋くんへ(Pt .2)


Pt .1 はこちら

そんな訳で16歳の夏休み、オレはアメリカに留学してしまった。

行き先はオハイオ州という中西部の田舎だった。保守的な土地柄で、共和党の支持者が多く、オレが通った高校には広島に原爆を落とした人の孫が通っていた。日本のことなんてだれも知らず、「日本に侍はいるの?」とか「日本にもテレビはあるの?」などとトンチンカンなことをよく聞かれたっけ。

オレを置いてくれた家は、もう成人して家を出た息子から、まだ小学生の末っ子まで4人も子供がいる、敬虔なクリスチャンの一家だった。お金のない家で家計は常に汲々としていた。よく異国からやってきたオレを引き受けてくれたと思う。

英語なんてまったく出来なかった。

どのくらい出来なかったかと言うと、例えば"Behind"(後ろ)っていう単語さえ知らなかった。現在完了とかもさっぱり分からなかった。英語の実力は中2ぐらいでストップしていたと思う。

この程度で日本から逃げ出したい一心でアメリカに住んじゃうんだから、まったくバカとしか言いようがない。

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アメリカに行ったからと言って急に何が変わる訳じゃなかった。

相変わらずバカで甘ったれた根性なしで糞袋のままだった。

いや、むしろ「糞袋化」がさらに進んだかもしれなかった。

何しろ言葉が何も喋れないから、誰とも意思の疎通を計れない。毎日ただただ学校と家を往復した。テレビもラジオも授業の内容も、周りが喋っていることも何ひとつ分からなかった。

「なんでこんなところに来ちゃったんだろう?」

毎日そう思ってた。自分で望んできたのに。

80日以内に日本に戻れば、落第せずに復学できる。

そんなことばかり考えてた。そこがイヤで逃げてきたのに。

わからないなりに、英語を理解しようとし続けるからだろうか?毎晩7時には睡魔に襲われ、赤ん坊のように11時間くらい眠っていた。一日中無言で11時間睡眠。オレをホストした家族は不気味だったんじゃないかと思う。

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日本いた時には親や教師との関わりが煩わしくて、自分に都合の悪い話には耳を貸さず、むやみやたらと反発してた。

「引きこもり」も同じなんじゃないだろうか?自分に都合がいい情報だけを取捨選択して生きている。

親が泣くようなことばかりしてた。

言葉ではまったく敵わない大人たちへの「親の言うなりには生きないぞ!」という、自分なりのアピールだったのかな…… と思う時もある。

しかしそれを親の庇護の元でやってたんだから、まったく「甘ったれの糞袋」だった。そんなに親がイヤなら家出でもすればいいのに。

でも異国の地でこうして「孤独」になってみて、自分がナンボのモノなのか、初めて考えさせられた。

自分の甘ちゃんぶりが身に沁みた。

言い訳もハッタリも屁理屈も何も言えない状況になって、

「自分の力で、裸で勝負しなくちゃ何も拓けない」

って初めて気が付いたような気がした。

当時はこんなふうに冷静に分析してた訳じゃない。

毎日が自分なりにサバイバルだった。

この素敵な家庭に嫌われないようにと、買い物やら薪割りやら率先して手伝った。

小学生の弟から少しずつ英語を憶えた。

完全なバカではないことを証明しようと、あまり英語を必要としない数学だけは一生懸命やった。

陸上部に入った。

1年間があっという間に過ぎて、少しばかり英語が喋れるようになった。

ホストファミリーとは本当に家族のように打ち解けた。

友達も出来、彼らとは今でも付き合いが続いている。

アメリカでもいろんな人の無償の愛を一方的に、無自覚に受けながら1年間を過ごした。

無能でバカだったオレにも居場所が出来た。

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そしていよいよ帰国の日。

空港で家族と別れて歩き出したら、どっと涙が溢れてきた。

前が見えないほど涙が溢れる、という体験を生まれて初めてした。

ありがとう。

搭乗口に寄りかかるようにしながら、やっと飛行機に乗り込んだ。

この世と別れる時にも、こんな気持ちになるんだろうか。

さようなら。アメリカ。さようならオハイオ。
まるで当然のことのようにオレをサポートしてくれたホストファミリー、学校の先生、そして異国の友人たち。さようなら。

あなたたちのことは絶対に忘れない。





つづく









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2012年9月8日土曜日

引きこもり予備軍の糞袋くんへ(Pt .1)


今から30年前のこと。

それ頃のオレはかなりダメでどうしょうもなくて、誰も聞いたこともないような偏差値の低い新設高校に通っていて、そこでもクラス45人中43番の成績だった。学年450人のうち、多分440番ぐらいだったろうと思う。正真正銘の「バカ」だった。

英語もしゃべれなかったし、それどころか日本語だって他人に通じていたのか定かじゃない。

「あなただってやれば出来るのよ」

と言ってくれたのは母親だけだったが、そんな言葉、はなっから信じてなかった。それに「あなたはやっても出来ない」なんていう母親、世の中にあんまりいないと思う。

もしあの頃誰かが未来からやってきて「君は10年後アップルコンピュータで働いている」なんて言ったら絶対に信じなかっただろう。例えばそれが空から降りてきた天使の言葉だったとしても信じなかったと思う。46歳の今よりも、16歳のあの時のほうが未来に希望がなかった。くだらない悪さをしては警察に捕まったり停学になったりしてて、なんだか生きてるのが申し訳ないような感じさえあった。

そんなオレが変わり始めたキッカケは偶然耳にした両親の会話だった。

母:「あの子はまた○○をやってないのよ。もう高校生だって言うのに一体どうするつもりなのかしら…」

父:「アイツは所詮その程度のヤツなんだよ。まあしょうがないな。オレたちの育て方が悪かったんだろ。」

吐き捨てるような父の言葉。

オレはそのまま静かに2階の自分の部屋に上がっていって、長いこと動けずにジッとしていた。

父親の言う通りだった。オレは確かに「その程度のヤツ」だった。人生の中で「情けない」と思ったことは何度もあったけど、この時が最初で、そして一番強烈に「情けない」と思った。

そんなショックを受けても、それでもまだ何ひとつ変われた訳じゃなかった。

宿題も試験勉強も何もせず、成績は更に下降して完全にビリだった。

そんなどうしょうもないオレにもひとつだけ特技があった。

小さな頃から習っていた水泳だけは得意で、中学の頃には県大会で2位になって、全国大会に出たこともあった。そんなオレが通っていたスイミングクラブの選手コースには横須賀の米軍基地からアメリカ人の高校生が2名通っていたのだ。2人ともなんとなく気があったので、コイツらともっと話ができたらいいのにな、って思ってた。それが刺激になったのか、少なくとも中学時代は唯一英語だけはちょっと成績が良かった。そのスイミングクラブのヘッドコーチは英語がペラペラで、子供心にカッコいいと思ってた。多分、そのころ尊敬の念を抱いていた唯一の大人だった。

そんな唯一の特技の水泳も中3の夏のシーズンを最後に止めてしまって、本当に何にもしていなかった。今みたいにネットがある時代だったら、多分そのまま引きこもりになってしまったと思う。そのくらい何もしていなかった。

ただ飯を食ってウンコを製造しているだけの「糞袋」だった。

そんなある日、いつも通り授業中に軽口を叩いて友達を笑わせていると、先生が叱りもせずにふと真顔になって

「松井は将来何がやりたいの?」

と聞いてきたのだ。オレは、

「今なんか材料工学っているのがあるんでしょ。形状記憶合金とか。そんなの研究したら面白いかな?」

多分数日前にNHKかなんかで観たんだ。思いつきでそんなことを言った。すると先生は

「ふ〜ん。まあお前には絶対無理だね。」

と言い捨て、また授業に戻っていった。

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何もかもなかったことにして消えてしまいたいと思い始めていたその頃、たまたま「交換留学」という制度があることを知った。

オレは俄然惹かれていった。

留学なんてまだ一般的ではなくて、名門進学高に通うような秀才だけのモノだった。だから受かるなんてこれっぽちも期待せず、単なる冷やかしで受験した。

筆記試験と面接試験があった。
筆記は設問さえも英語だった。問題の意味もよくわからず、なんか書いて提出した。

面接試験では 「もしアメリカ人の同級生に『君の英語は下手だなあ』ってからかわれたらどうしますか?」と聞かれて

「ぶっ飛ばします」

と答えたことだけを憶えている。面接官はそれが壷にハマったらしくハンカチで涙を拭きながら笑っていた。

それからしばらくしたら、なんと合格通知が来てしまった。

もし海外に行ってしまえば、しばらくここから消えられる。1年日本にいなかったら、なにもかもリセットできるんじゃないか…。そんなふうに考えたんだ。英語を学ぼうとか異文化吸収したいとかそんなことはこれっぽっちも考えてなかった。

なぜ受かったんだろうか?それは今でも謎過ぎる謎だ。多分手続きの間違いだと思う。

そして1年消えたんだ。ニッポンから。

甘ったれで、役立たずで、能無しで、ただの糞袋のオレが、「所詮その程度のヤツ」と言い捨てた父親の愛情に甘え、お金を出してもらって。

アメリカに行ったからと言って何かが急にどうなった訳じゃない。でも何かがちょっとだけ変わったんだ。

続く





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2012年9月2日日曜日

未来のビジネスの形

7月下旬に日本に一時帰国した際に、ビジネスメディア誠の編集部のお計らいにより、畏れ多くもあの佐々木俊尚さんと対談することができました。

この時に私はグローバル化が社会にもたらす影響や未来の仕事の形などを話し合えたらと考えていたのでそういった提案をしたところ、編集部の方も佐々木さんも快く引き受けてくださり、思いがけずに自分の考え続けていたこと、疑問に思っていたことなどを佐々木さんにぶつけることができました。あっというまの2時間で、終ってしまうのが惜しいほどでした。

佐々木さんはとにかく「まとめる力」が高い方でした。私がグズグズ喋っているとピシッとまとめてくれて、また佐々木さんから出てくる事例も「なるほど」と思わせてくれるものが非常に多く、得ることの非常に多い対談でした。

さて対談の内容は、今日から9回でビジネスメディア誠に掲載される連載記事のほうをお読み頂くとして、今日はまた対談後に考えてみたことを書いてみたいと思います。

これからやってくるのは中世のような「領主と農奴」の世界のような時代です。中世の領主はある一定の領土を支配しました。しかし21世紀の企業はその企業の得意分野で地球規模に支配を広げます。

例えばグーグル。

あなたは自分のことをグーグルの客だと思っているかも知れません。

その認識は間違っています。

あなたはグーグルの商品です。

グーグルの本当の客はグーグルに金を払って広告を載せてくれる企業です。

あなたや私の検索履歴や閲覧履歴そのものが、グーグルの売り物なのです。そしてそんなあなたや私のブラウザに最適化した広告を載せることに企業はカネを払っているのです。

グーグルはこれを地球規模でやっています。

グーグル先生は何でも知っています。あなたの嗜好、悩み、好きなエロサイト…。そうやって何十億人という人から集めたそれらの情報を意味ある形に再編し分析し、あなたのブラウザに入れられたクッキーを頼りに、あなたに最適化した広告を表示するのです。

今後はこういった企業が増えるでしょう。

いや、すでに沢山あるんです。

いま、そんな話を本に書いています。

まだタイトルは決まっていませんが、取りあえず「私設帝国の時代」というようなタイトルを考えています。

年内には出せると思います。

またもう少し書けたら少しずつ紹介したいと思っています。

そうそう、同じようなネタでその他諸々twitterで呟いたこと、まとめてくださった方がいたのでこちらもどうぞ。

Matsuhiroさんによる、「近未来の日本の労働環境の見通しとそのサバイバル方法」

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