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Brighture English Academy 代表。趣味はウクレレとかハイキングとかDIYとか旅行などなど。在米20年。シリコンバレーに住みつつ、日本とアメリカとフィリピンで会社経営しています。最近は英語教育がライフワークになりつつある。

2012年11月13日火曜日

変えられる運、変えられない運

人生ってなかなか思い通りにはなってくれません。

大切な恋人とのデートの日に大雨が降ったり、一日中仕事場から出れない日に限っていい天気だったりします。

試験の日に風邪をひき、滅多にスピート違反なんかしないのに、たまたまスピード違反をした日に限ってお巡りさんに捕まったりね、とにかくなかなか思うようには進んでくれないのが人生です。

運がいい日だってある

でもその一方で思いがけないほど運が助けてくれる時もあります。

私自身、かつて16歳の頃に海外への脱出を願っていたら、何故か交換留学生の応募試験に受かってしまいましたし、30代の半ばにいつかアメリカで働いてみたいと思っていたら、ちゃんとそういう機会に恵まれました。

人生には「あの時は運が良かった」としか言いようのないことも確かにあるのです。

運を引き寄せる

また「あの時には運を自分のほうに引き寄せたな」と感じる時もありますし、「あの時は自分で運を手放してしまった」と感じる時もあります。

野球やアメフトなどの試合を見ていても、試合の中でチーム間を運が行ったり来たりするのが見て取れます。最初は拮抗していた力がどちらかのチームがヒットを打つことなどして崩れ、そこから運が転がり始めます。走者を出したチームは運を引き寄せて次々を走者を塁に出し、得点に繋げて行くのです。

負け始めたチームは動揺してリズムを崩し、つまらないミスを犯し、肝心な所で固くなって運を手放していきます。やがて気持ちが折れ、運を投げ出してしまいます。その時点で勝敗は決まってしまいます。

ところが負けているほうのチームがスピリットを落とさず、苦しいところを凌ぎ切って行くことがあります。失敗しても引きずらず、次の打席はまるで初打席のようにまっさらな気持ちで臨み、最後まで勝ちを諦めません。一方勝っている方のチームは慢心し、せっかく出来た流れを大切にしなくなることがあります。すると運の流れが逆回転を始めるのです。

やがて運が負けていたほうのチームに味方し始めます。ヒットが出て得点に繋がっていきます。スポーツを生で観戦する醍醐味は、こうした流れを肌で体感できることでしょう。なかなかテレビではその臨場感が伝わらないものです。

生活もまた同じ

同じことは個人の人生に当てはまるのではないか……と私は考えています。

イヤな担任の先生だったあの一年間。

嫌がらせを受けたあの職場。

英語が喋れずに右往左往していた、アメリカに移り住んだばかりのあの頃。

「どうせオレなんか……」と運命を嘆いて努力を放棄し、投げ出してしまった時もあれば、なりふり構わず何とか食らいついて辛い時を凌ぎ、やがて運が自分に巡ってくるのを待てた時もあります。

こうしたことを繰り返して行くうちに、運が巡ってこない時を凌ぎ切っていく感覚というものが身に付いていくように思うんです。

身内や友人に不幸が続いたあの年。

失職したあの時。

これまでの私のつまらない人生にもそれなりに上り坂も下り坂も、そして「まさか」もありましたが、どれも凌ぎ切っていくことで、やがて運命が好転してきた時にそれに乗ることができたように思います。

勿論ダメだった時もたくさんありました。

尻尾を巻いて逃げ出したあの時。

些細な失敗で挫けた苦い思い出。

でもそうした失敗を引きずらず、むしろ糧にしていくことで、運を引き寄せ、味方にしていけるように思うんです。

挫けそうになったら

苦しい時にはトコトン苦しいことが続くものです。そしてたいして努力もしていないヤツが楽しそうに過ごしている姿が目に付きます。

残念ながら世の中にはコントロールできない運もたくさんあります。

詐欺師がデートの日に晴天に恵まれ、善人がデートの日に雨が降ったりすることもあります。

こういう大きな流れはおいそれと変えることなんて出来ません。善人も悪人も等しく晴天に恵まれ、雨に降られ、洪水や地震にも遭ってしまうんです。人間が出来ることなんて何にもありません。

しかしこうした大きな流れはある意味全員に平等ですから、嘆いたって仕方がありません。

生まれてくる場所、時代。親だって選べません。 これらは配られてしまったカードのようなものです。嘆いたって変わりませんから、手持ちのカードでどうやって運命を好転させていけるのかにフォーカスしたほうがよほどいいように思うんです。

雨の日には雨を嘆くよりも、傘を差したほうがよほど過ごしやすくなります。

運を呼び込もう

当たり前のことをコツコツとこなし、仲間を大切にし、住む場所、働く場所、交友関係を風通しの良いものし、運が入ってきやすい環境を作っていくこと……自分なりに四苦八苦してきて、そういったことがとても重要なのではないかと感じています。風通しが良ければさまざまなものが入ってきますから、良いモノを捕まえて悪いモノは手放していく。そんな感覚が大切なのではないかと思うんです。

「動かされないようにしっかりと立ち、主の業に常に励みなさい」

というのは私の好きな聖書の言葉ですが、「運」という名の神様に味方してもらうには、結局ブレない、諦めない、投げ出さない、自分の明るい未来を信じ抜くこと、ということ以外にないように思うんです。

だから明るい未来を信じて、今日の仕事を淡々と、そして着々とこなしていきましょうか。



2012年11月4日日曜日

マヨネーズの瓶と2本のビール


一昨日、フェイスブックで流れてきた話、なかなか良かったので和訳して紹介することにしました。

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ある哲学の教授が、あるものを手に教壇に立ちました。

授業が始まると、教授は手に持っていた大きなマヨネーズの空瓶を黙って教壇の上に置き、それが満杯になるまでゴルフボールを入れていったのです。

ゴルフボールが入れ終わると教授は学生たちに「この瓶はいっぱいですか?」と尋ねました。

学生たちは瓶が満杯であることに同意しました。

すると教授は、小石が入った箱を取り出し、その小石を瓶の中へ注ぎ始めたのです。教授が軽く瓶を振ると、小石はゴルフボールとゴルフボールのすき間にカラカラと入り込んでいって瓶を満たしたのです。

そこで教授はまた学生たちに「この瓶はいっぱいですか?」と尋ね、学生たちはその通りだと頷きました。

次に教授は砂の入った箱を取り出し、砂を瓶へ注いでいきました。砂は、残されたすべての隙き間を埋め尽くしました。

砂を入れ終わると、教授は再び「この瓶はいっぱいですか?」と尋ね、学生はみな再び頷いたのです。

すると教授はテーブルの下から2本のビールを取り出し、ビールを瓶の中へ注いでいったのです。ビールは砂の中へとしみ込み、2本ともすっかり瓶の中に入ってしまいました。

それを見た学生たちは大笑い。

やがて笑い声が収まると、教授は話し始めました。

「この瓶は、私たちの人生を表しています。」

「ゴルフボールは、家族、子ども、健康、友人、大事な夢などといった『大切なもの』を表しています。」

「ゴルフボールがあれば、たとえ他のすべてを失っても、あなたの人生は依然として満ち足りたものとなります。」

「小石は、あなたの仕事、家、車などといったその他の重要なものを表しています。」

「砂は、その他の「小さなこと」を表しています。」

もしあなたがこの瓶を最初に砂でいっぱいにしてしまうと、小石やゴルフボールを入れるスペースがなくなってしまいます。人生においても、これと同じことが言えます。もしあなたが小さなことに、全ての時間とエネルギーを費やしてしまったら、大切なものを手にすることはできません。」

「あなたの幸せにとって鍵となるなものを大切にしてください。」

「両親と時間を過ごしてあげてください」

「子どもと遊んであげてください。」

「おじいちゃん、おばあちゃんを訪れてあげてください」

「健康診断をきちんと受けてください。」

「奥さんをディナーに連れて行ってあげてください。」

「ゴルフをもう1ラウンド楽しんでください。」

「家の掃除やモノの修理する時間はいつだってあります。」

「人生において大切な 『ゴルフボール』 を一番に持ってきてください。」

「優先順位を間違えてはいけません。」

「他のものは、単なる砂でしかないんです。」

すると1人の生徒が手を挙げ、ビールは何を表しているのかと尋ねました。

教授は「よく聞いてくれた」と笑いながら答えたました。

「これは、

人生がどんなに手一杯に見えても、
友人と一緒にビールを飲む余裕はいつだってあること

を表しています」