2012年10月13日土曜日

限界設定の難しさ

よく心理学の本などに出てくる言葉に「限界設定」という言葉があります。

Boundary settingとかLimit settingという概念が日本語化されたものですね。

要するに子育ての際に、「ここから先はダメ」という壁を作ってあげる作業です。

「ゲームは1時間でヤメなさい」とか「10時になったら寝なさい」とか、「ご飯は好き嫌いしないでちゃんと食べなさい」とかそういう類いのことです。

よくスーパーの中でヒックリ返って泣き叫んでダダをこねているお子さんがいますが、あれは限界設定ができていない典型的な例と言っても良いでしょう。

限界設定の難しさ

限界設定は考えている以上に難しい作業です。子育てをしていく中でもっとも難しいことのひとつなのではないかと思います。境界を設けて徹底させるのはホントに楽じゃありません。

限界設定をする際、まず「何を境界とするのか」。これをキチンと決める必要があります。そしてこの作業は夫婦でやらないとうまくいきません。

よくお母さんが「9時だから寝なさい」とか「甘いものばかり食べるんじゃありません」などと言って、限界設定をしようとしているのにお父さんが横から「いいんだよな〜」なんて言って崩してしまうことがあります。逆のパターンもあるでしょう。

子供だってああせい、こうせい、言われて嬉しくもありませんから、どちらかの親が甘いことを言ってくれれば願ったりかなったりです。

また夫婦が一致しててもおじいちゃんおばあちゃんがメチャクチャをやってしまう、などというのもあります。たまにならまだしも、祖父母が近所に住んでいたりしてチョクチョクやられると本当に厄介です。

また親の言うことがそれぞれで違うんじゃ子供だってどこが壁なのか分かりません。

だから「何を壁にするのか」は夫婦で合意できていることが基本です。

境界をブラさない

せっかく境界を決めたのに、すぐにブレてしまうお父さんお母さん、結構います。

ダメなものはダメ。そこからブレないことが肝心です。今日はいいけど明日はダメ、では子供が混乱してしまいます。 子供が不憫になってしまったり、また親の機嫌で境界を変えたり…。これでは壁として機能しません。

お友達の家ならいいけど、自宅ではダメとか、そんな複雑なルール、子供には理解できませんし、今度は理解できるようになると、こういうブレているところを見つけて揺さぶりをかけてきます。子供の学習能力を侮ってはいけません。

何を伝えたいのか

よく「子供が車に乗ってくれないから帰れない」などというお母さんがいます。そして延々駐車場にいるのです。しかしそこは子供の意思を尊重するシーンじゃありません。帰る時間になったら帰る。そういうルールを教える機会なんです。問答無用で乗せてしまう。これを3回もやればもう「乗らない」問題は解決してしまいます、「お母さんはブレてくれない。」それが分かれば言うことを聞くようになるものです。ブレると分かればトコトン揺さぶりをかけます。子供の仕事は壁を乗り越えて行くことなんですから、それは当然のことです。

また子供が従ってくれないからと、モノで釣るお母さん、沢山います。「もう帰る時間よ」「ヤダ!」「お菓子買ってあげるから帰ろう」などなど……。子供が大きくなったらいったい何で釣るのでしょうか?モノやプレゼントでつっていると、子供はそういう取引を憶えていきます。結局「何を学ばせたいのか?」という問題なんだと思います。

また怒鳴ったり殴ったりしていうことを聞かせると、結果として子供も殴ったり怒鳴ったりして人を従わせてもいいと学習してしまいます。ここもまた「何を学ばせたいのか?」という問題なんだと思います。暴力で人の意志を曲げてもいいと学習させたいのか?という問題です。

萎縮させてはいけない

しかし子供があんまり萎縮してもいけないので、どうしても今日は長く遊びたい、などといった場合には、キチンと主張するよう訓練するのがよいと思います。普段キチンと限界設定をすることで、逆にこういう機会を作りだすこともできると思います。

また子供も発言をする機会を与えることも重要でしょう。最初は外食の行き先といった些細なことから始め、駄々をこねるのではなく、きちんとした発言しやすい空気を作っていくことも大切なのではないでしょうか?

ぶん殴るとか怒鳴りつけるなんてもってのほかです。私は自分もそうされ、子供にも何度かそうしてしまいましたが、子供が萎縮して歪むだけです。暴力はヤメておきましょう。

何のために限界設定するのか?

では最初のところに戻って、そもそも限界設定をなぜする必要があるのか考えてみましょう。

ひとつは社会性を身に付ける、というコトだと思うんです。社会で通用する立ち振る舞いですね。恥ずかしくない生き方。キリスト教のように「神様がいつも見ているよ」というのもひとつのアプローチでしょう。いずれにせよ、人が見ていようと見ていまいと人として情けないこと、恥ずかしいことはしない、ということを教えていく方法のひとつとして、教会に行くのもひとつのやり方でしょうが、キチンと型に嵌めて教育するいう方法もあると思います。昔風の言葉で言えば、「躾」ですね。

もうひとつは敢えて擬似的に壁を作ってあげることで、反抗期を迎えるために必要な要求不満を与えて あげる役割があるんじゃないかと思うんです。

「ああせいこうせい」と言われて嬉しい子供はいません。14歳ぐらいになると、段々「お父さんの言うことはおかしい!」などと言い出します。これはすごく健全な話だと思うんです。

あるいはウチの親はウザいからと友達との世界を構築し始め、段々そっちに引っ越してくれる。そうやって自立する。だからある年齢に達するまでは親はウザいぐらいでちょうど良いのではないかと思うんです。

本格的にウザがって、段々親離れできてきたら、段々目線を下げていってもいいと思うんです。親目線から、「少し先を生きる先輩」の目線へ。「ああしろこうしろ!」から「オレだったらこうするけどな」へシフトしていくんです。これがなかなか難しいですね。

以下5年後に加筆



さて、5年が経過して子育てが終わりましたが、この文章を最初に書いた頃は子供が思春期真っ只中で、本当に四苦八苦しました。僕は子育てを心からエンジョイさせてもらいましたが、あの数年間だけには戻りたくないな、としみじみ思うくらいです。

振り返ってみると、子供のご機嫌をとって妥協せず、でもちゃんと寄り添って話を聞いてあげてあげるのが鍵だったように思います。結局子供は大人の本気を試しているんです。とことんまで付き合ってあげるしかないです。そして子供が思春期を抜ける頃、壁は必要なくなります。親子というよりは良き友人になれます。そういう脱皮の季節が、思春期なんです。ただ、脱皮は本人も周囲も苦しいんですね。

さて、取り留めなくなって来たので、これについてはまた次回。

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