私の本「僕がアップルで学んだこと 環境を整えれば人が変わる、組織が変わる」の中で、90年代に倒産寸前だったアップルのダメっぷりについて丸1章割いて話しています。
どのくらいダメだったかという話はこことかこことかで紹介されていますので興味のある方は是非お読みになってください。
最近シリコンバレーに住む日本人の方からも「本読みましたよ〜」と声をかけて頂くことが多くなり嬉しい限りです。が、その後にギョッとするコメントを頂いたり以下のような会話が続くことが多いんです。
「うちの会社、アップルのダメ時代とソックリだよ…。」
「ホント?ウチの会社もだよ〜!」
「あれヤバいよね」
「出荷する前からパッチの話してるしね」
「やってる当事者が「ダメだな…」と思いながらやっているし……」
「いろんな製品があるのにどれもパッとしないんだよね〜」
「社内でプロジェクトが多過ぎて何やってるか、なにが最優先のプロジェクトなのかとか全然分かんないんだよね〜」
「犬連れてくる人、いるよね〜」
マジですか???
マズいですよ。
あの頃のアップルの加速度的な腐敗の進み方は本当に凄かったですから、これが本当なら経営陣の方々、相当な危機感を持ったほうがいいと思います。
ちなみにこうした会話を交わす相手は世界最大の検索エンジンの会社とかPDFを発明した会社など、誰でも知っている超有名企業にお勤めの方たちです。
それから話し相手が管理職の方だと、こんな会話に発展することもあります。
「社内政治、ホントにヒドいよね〜」
「うちの会社も松井さんの本のままだよ」
「ウチはもっとヒドいよ。ある部署が別の部署と同じプロジェクトを始めて、元の部署を乗っ取ったり…」
……。あんまりなので会社名は伏せておきますが、グローバル企業の社内の様子ってどこでもあまり変わらないようです。
日本企業は「経営不在」という別の形の病を感じますが、社内に犬を連れてくる人がいるとかバグだらけのままパッチ前提で出荷するとか、そういう社員レベルでモラルが欠落したような問題はあまり聞かないように思います。むしろ「間違った方向に努力し続けること」が最大の問題、という印象です。
それに比べるとアメリカの企業はある意味分かりやすいですね。不真面目な社員は怠けだし、社内政治が激化し、そして見切りを付けた風向きに敏感な社員がドンドン辞めていきます。ですので病理が表面化するのが早いように思います。しかしどちらの病気も経営の問題であることには変わりがありません。こういった重大な病は末端の努力で治すこと、ほとんど出来ません。それどころかソニーや米国Yahoo、あるいはNECなどの例をみても、経営陣を内部昇格で変えてもほとんど何も変わりません。一度ガラガラポンするとか経営陣を総入れ替えするとかしないとなかなか建て直りません。
結局アップルもジョブズ復帰に伴い経営陣をNeXT出身者に入れ替え、マイクロソフトから輸血を受けての再出発でしたから、一度倒産したようなものです。ジョブズだって一度は社外に追放された身でしたから、そんなふうに外部から新しい血が入らないとやっぱり無理なんだな、って思います。
さて日本のエレクトロニクス陣営はいま瀬戸際にいます。しかしどの会社も優秀な人材や金になる事業のひとつやふたつ、今でも持っています。是非なんとかして知恵を絞り復活して欲しいと思っていますが果たして成るか………。
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Profile
- 松井博
- Brighture English Academy 代表。趣味はウクレレとかハイキングとかDIYとか旅行などなど。在米20年。シリコンバレーに住みつつ、日本とアメリカとフィリピンで会社経営しています。最近は英語教育がライフワークになりつつある。
2012年5月28日月曜日
2012年5月25日金曜日
牛さんたち、ごめんなさい。
マクドナルドと言えばハンバーガーです。ジューシーでおいしいですよね。私はビッグマックとか大好きです。
こんなの。
この中に挟まっているお肉はハンバーガーパティと呼ばれる、ハンバーグのお肉です。
毎秒75個
のハンバーガーが売れるそうで、アメリカ国内では一日2千3百万人(!)もの人がマクドナルドで食事をするそうです。
アメリカ国内だけでもこれほどの人がハンバーガーを食べるとすると、一体どれだけの牛肉が消費されているのか気になります。調べてみたところ、なんとアメリカ国内のマクドナルドだけでも1年間におよそ10億ポンドもの牛肉が消費されているそうで、これってなんと牛
550万頭
分だそうです。
550万って、東京の人口が1200万ぐらいですからそのおよそ半分ですよ。
この数字がどのくらい凄いかちょっと考えてみましょう。
550万頭/365日=1日あたり15068頭
となります。
そう。なんと1日に1万5千頭もの牛が肉になってしまうんです。
この牛さんたちがどんなふうにパティにされてしまうのか興味のある方は下の2つのビデオをご覧ください。
まずはこのビデオ。本当に強烈なので、覚悟してみるか、見ないほうがいいかも知れません。もしもあなたが今後ハンバーガーを食べられなくなっても、あるいは肉そのものが食べられなくなっても私は責任持てませんので、自己責任でお願いします。わたしは途中で見るのを止めてしまいました。そのくらい強烈です。
下は「精肉」工場の様子です。どうってことない映像ですが、上の映像を見た後だと、正視に耐えない部分もあったりします。
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こんなの。
この中に挟まっているお肉はハンバーガーパティと呼ばれる、ハンバーグのお肉です。
こんなの。
さて。マクドナルドは本当に大きな企業です。不況にも強く、2007年以来ずっと続いている世界不況の中でも着実に売り上げを伸ばしています。2007年には45ドルほどだった株価も現在は91ドル。倍以上に上げています。現在は118カ国に3万1千店もの店舗を抱え、アメリカ国内だけでも1万3千店もの店舗があるんです。全世界でなんと
毎秒75個
のハンバーガーが売れるそうで、アメリカ国内では一日2千3百万人(!)もの人がマクドナルドで食事をするそうです。
アメリカ国内だけでもこれほどの人がハンバーガーを食べるとすると、一体どれだけの牛肉が消費されているのか気になります。調べてみたところ、なんとアメリカ国内のマクドナルドだけでも1年間におよそ10億ポンドもの牛肉が消費されているそうで、これってなんと牛
550万頭
分だそうです。
550万って、東京の人口が1200万ぐらいですからそのおよそ半分ですよ。
この数字がどのくらい凄いかちょっと考えてみましょう。
550万頭/365日=1日あたり15068頭
となります。
そう。なんと1日に1万5千頭もの牛が肉になってしまうんです。
この牛さんたちがどんなふうにパティにされてしまうのか興味のある方は下の2つのビデオをご覧ください。
まずはこのビデオ。本当に強烈なので、覚悟してみるか、見ないほうがいいかも知れません。もしもあなたが今後ハンバーガーを食べられなくなっても、あるいは肉そのものが食べられなくなっても私は責任持てませんので、自己責任でお願いします。わたしは途中で見るのを止めてしまいました。そのくらい強烈です。
下は「精肉」工場の様子です。どうってことない映像ですが、上の映像を見た後だと、正視に耐えない部分もあったりします。
あなたや私が食べるハンバーガーはどこかの牛さんの肉だと頭では判っていましたが、こうして映像で見てみると実に衝撃的なものです。
今年もまた、アメリカ国内だけどもこんな光景が550万回繰り返されています。
牛さんたち、ごめんなさい。あなたたちだって自分の一生を全うしたいだろうに……。私もう、肉食べるのやめようかと思います。
今年もまた、アメリカ国内だけどもこんな光景が550万回繰り返されています。
牛さんたち、ごめんなさい。あなたたちだって自分の一生を全うしたいだろうに……。私もう、肉食べるのやめようかと思います。
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2012年5月19日土曜日
じゃんけん、じゃんけん、またじゃんけん
最近勝間勝代さんの『「有名人になる」ということ』という本を読みました。
この本、意外なくらい面白かったです。勝間さんの本は今まで2、3冊読んだ事がありましたが、どの本も極めて真っ当で理路整然としており、かえって印象に残らない傾向がありました。
勝間勝代さんという方、異常なぐらいエネルギーに溢れていて、なんか見ていて疲れるくらいの方ですが、でも成功する人ってみんな驚異的にエネルギッシュですから、まあ当然と言えば当然です。でもちょっとその有り余るエネルギーをストレートにお茶の間に届け過ぎなんじゃないかい? と長らく思っていました。
そしてこの本を読んでみて、何とも言えず納得しました。特に印象に残ったのがここ。
もうひとつなるほど、と思ったのは勝間さんが有名人になるメリットとして挙げているこれ:
この本、意外なくらい面白かったです。勝間さんの本は今まで2、3冊読んだ事がありましたが、どの本も極めて真っ当で理路整然としており、かえって印象に残らない傾向がありました。
勝間勝代さんという方、異常なぐらいエネルギーに溢れていて、なんか見ていて疲れるくらいの方ですが、でも成功する人ってみんな驚異的にエネルギッシュですから、まあ当然と言えば当然です。でもちょっとその有り余るエネルギーをストレートにお茶の間に届け過ぎなんじゃないかい? と長らく思っていました。
そしてこの本を読んでみて、何とも言えず納得しました。特に印象に残ったのがここ。
確率が低い勝負であっても、それを繰り返し繰り返し行っていけば、いつかは負け続ける確率が下がっていって、どこかで必ず勝てるのです。多くの人はそのような努力を五〇回、一〇〇回は続けません。しかし、もしチャレンジしてもとくに失うものがなければ、勝負をし続けることです。そうすれば、必ず勝てます。わたしは多くの有名タレント、有名経営者にインタビューする機会を得ましたが、ほんとうに、すべての人に共通するのが、この「じゃんけん、じゃんけん、またじゃんけん」の精神です。なるほど。「じゃんけん、じゃんけん、またじゃんけん」の精神か…。自分に欠けているのはこういう「しつこさ」だと思いました。この一文に出会っただけでもこの本をわざわざ日本から取り寄せて読んだ価値がありました。
もうひとつなるほど、と思ったのは勝間さんが有名人になるメリットとして挙げているこれ:
人脈のひろがりによるチャンスのひろがり。これを生かせないと、有名人になったメリットはほとんどない
これ、有名人でなくても実はまったくその通りで、趣味のサークルとか職場とか、あるいはtwitterやmixiの出会いでも同じことですよね。現代は特別有名じゃなくても、自分なりにソーシャルメディアなどを通じて働きかければ思いがけないほど広がりが増えていきます。そういう広がりを生かさない手はないように思います。
2012年5月16日水曜日
バーチャルはリアルをどこまでも浸食
昨日「マルチタスクからマルチライフへ」と題して、現代人がいかにリアルライフとバーチャルライフを並行して生き、バーチャルがリアルの方を浸食/分断し、希薄にしているか、というような話を書いたばかりだったのですが、現実はそんな記事よりもずっと先を進んでいるようです。
さて今日かなりショッキングな記事を目にしました。
セックスの最中もスマホでショッピングが止められないってマジ? 35歳以下の女性に増える驚愕のナイトライフ...
う〜ん。ウソくさい…… と思ったんですが一応元記事を確認。そしたらキチンとした調査会社が行ったアンケートが元となった記事で、あながちウソとも言いきれないようです。発表したのはMeredith’s Parents Networkという会社で、この会社「Parents」などの真面目な雑誌を出版している会社です。これが元記事:
21 Percent Of Millennial Moms Use Their Phone In The Bathroom And 12 Percent Use It During Sex(21パーセントの母親はトイレでもケータイを使い、12パーセントはセックスの最中も手放せない)
調査対象になっているのは1977年〜1994年生まれ、つまり18〜35歳以下の母親ということです。
およそ10人に8人がFacebookのアカウントを持っており、81%の人がスマートフォンでネットショッピングをしているとのこと。日本語の記事にあった「セックスの最中もスマホでショッピングが止められないってマジ?」というタイトルはそこから来たようです。
さて21%がトイレにスマホを持ち込むというのは何となく分かるような気がします。手軽な暇つぶしですからね。ちょっと前まで新聞や雑誌を持ち込んでいたのと感覚的にはさほど変わらないでしょう。でも12%、およそ8人に1人の女性がセックスの最中にスマホを使うっていうのはやっぱりにわかには信じられません。
ただデート中でもスマホをいじっているカップルっていくらでもいますから、ちょっと若いカップルだとそれがエスカレートしてセックス中でも使ってしまうんでしょうか?また今のケータイ、どんな安物でもビデオも写真も撮影できますから、そういう使い方なんでしょうか?それならやや理解できるような気がします。でもそれって俗にいう「ハメ撮り」ですし、こういうことって男がやることと相場が決まっていたと思うんですがそんな思い込みは古いんでしょうか?
そういえば3年ほど前に「Sexting」という記事をこのブログに書いたことあります。ティーンのカップルが恋愛中に自分のヌード写真をお互いに送ったり、セックスを撮影したりするものの、破局後にヤケになった男がそういう画像をネットにぶちまけたりするという話でした。2009年の時点で既にこういう話が社会問題化しつつあったので、3年後の現実はもっとずっと進んでいるのかも知れません。セックスを撮影するなんて私にはあり得ないアブノーマルプレイな気がしますが、今では定番メニューなのかもしれません。
twitterやfacebook って本当に何でもかんでも載せる人いますから、「セックスなう」とか呟いていてもおかしくないです……。
とか思ってtwitterで「セックスなう」って検索したら
本当にザクザク出てきました。(←クリックしてみてください)
う〜む……。
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さて今日かなりショッキングな記事を目にしました。
セックスの最中もスマホでショッピングが止められないってマジ? 35歳以下の女性に増える驚愕のナイトライフ...
う〜ん。ウソくさい…… と思ったんですが一応元記事を確認。そしたらキチンとした調査会社が行ったアンケートが元となった記事で、あながちウソとも言いきれないようです。発表したのはMeredith’s Parents Networkという会社で、この会社「Parents」などの真面目な雑誌を出版している会社です。これが元記事:
21 Percent Of Millennial Moms Use Their Phone In The Bathroom And 12 Percent Use It During Sex(21パーセントの母親はトイレでもケータイを使い、12パーセントはセックスの最中も手放せない)
調査対象になっているのは1977年〜1994年生まれ、つまり18〜35歳以下の母親ということです。
およそ10人に8人がFacebookのアカウントを持っており、81%の人がスマートフォンでネットショッピングをしているとのこと。日本語の記事にあった「セックスの最中もスマホでショッピングが止められないってマジ?」というタイトルはそこから来たようです。
さて21%がトイレにスマホを持ち込むというのは何となく分かるような気がします。手軽な暇つぶしですからね。ちょっと前まで新聞や雑誌を持ち込んでいたのと感覚的にはさほど変わらないでしょう。でも12%、およそ8人に1人の女性がセックスの最中にスマホを使うっていうのはやっぱりにわかには信じられません。
ただデート中でもスマホをいじっているカップルっていくらでもいますから、ちょっと若いカップルだとそれがエスカレートしてセックス中でも使ってしまうんでしょうか?また今のケータイ、どんな安物でもビデオも写真も撮影できますから、そういう使い方なんでしょうか?それならやや理解できるような気がします。でもそれって俗にいう「ハメ撮り」ですし、こういうことって男がやることと相場が決まっていたと思うんですがそんな思い込みは古いんでしょうか?
そういえば3年ほど前に「Sexting」という記事をこのブログに書いたことあります。ティーンのカップルが恋愛中に自分のヌード写真をお互いに送ったり、セックスを撮影したりするものの、破局後にヤケになった男がそういう画像をネットにぶちまけたりするという話でした。2009年の時点で既にこういう話が社会問題化しつつあったので、3年後の現実はもっとずっと進んでいるのかも知れません。セックスを撮影するなんて私にはあり得ないアブノーマルプレイな気がしますが、今では定番メニューなのかもしれません。
twitterやfacebook って本当に何でもかんでも載せる人いますから、「セックスなう」とか呟いていてもおかしくないです……。
とか思ってtwitterで「セックスなう」って検索したら
本当にザクザク出てきました。(←クリックしてみてください)
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2012年5月14日月曜日
マルチタスクからマルチライフへ
コンピュータが生活に入ってきて一般的になったものと言えば「マルチタスク」です。
私も企業勤めの時にはいつでもどこでもメールを読んだり書いたりしていました。またテキストメッセージもひっきりなしに来ていました。時間が根本的に足りず、家族とテレビをいっしょに見ている時ですらソファーの端でラップトップを広げ、常に何かやっていました。iPhoneが支給されてからはますますその傾向に拍車がかかり、本当に常に仕事をしていました。こんな生活をしている人、今では少なくないでしょう。
振り返ってみると仕方がなかったとはいえ、家族には悪かったな…と感じています。
そして遂に会社勤めを辞め、このマルチタスク生活に終わりを告げる時がやって来ました。退職を機に携帯電話も処分してしまったので、家族に向き合う時間が増える…はずでした。
しかし、時代はマルチタスクからマルチライフの時代に移り変わっていたのです。
マルチライフってなんだって?
読んで字の如く、複数の人生です。
誰でも家族や友人とご飯を食べたり喋ったりするリアルライフがありますが、その一方でFacebookのアップデートを覗き込んだり、twitterにコメントしたりされたりと、リアルライフと並行してもうひとつのバーチャルライフがあるんです。そして仕事のメールから解放されたら、今度はそのバーチャルライフにつぎ込む時間が劇的に増えてしまったのです。
そしてこれはおそらく私だけではなく、世の中の多くの人がそうでしょう。
この「マルチライフ」を実感したのは、2年ほど前に知り合いのお葬式に行った時のことです。
お葬式って人生の中でも数少ない、自分の120%のアテンションを故人とその残された家族や友人に向け、故人を偲ぶべき時間だと思うんです。
でも談笑しながらコッソリとテキストしたりFacebookを覗き込んでいる人、数名ですがいました。
葬儀でこの始末ですから、喫茶店などで談笑しているグループなども全員が代わる代わるスマートフォンを覗き込んでいるんです。当然ながら目の前にあるリアルな会話につぎ込まれるアテンションは以前の半分かそれ以下です。
またちょっと前までは思春期の子供がケータイのメールにかかりきりで食卓でも上の空、なんて問題視されていましたが、いまやうっかりすると親の方も子供なんか見ちゃおらず、意識は半分バーチャルライフです。
これじゃ一体どっちがリアルでどっちがバーチャルなのか微妙なくらいです。
さて、まあこれはこれで新しい人生の形態なんだと思うことにしましょう。良くも悪くも今はリアルとバーチャルがくっ付いた時代ですから、これも新しいリアルなんだと割り切る必要がある部分もあるでしょう。
しかしですね…。昔なら例えば大学に進学すると、それまでの友達とは基本的に付き合いが切れて、「新しい自分」をやり直せるような部分があったと思うんです。そして地元に帰った時だけあんまり冴えない、それでいてちょっと安心できる「昔の自分」に戻るみたいな。
でも高校の時からFacebook に300人も400人も友達が居て、大学に行こうが海外に移住しようがそれがみんなくっ付いてくるってどうなんでしょうか?これではやり直しもクソもありません。そういうのが幸せなのか微妙な気がします。
また中学や高校時代といった若い時期には、部活動などの距離が近過ぎて息苦しいような濃密な人間関係の中で、人との付き合い方や距離の取り方、あるいは我慢の仕方など色々と学んだと思うんです。でも今ではだれでもちょいとケータイを取り出して意識は半分「あちら側」に飛ばせてしまうのです。これは果たして人間の成長に良いことなのかどうか、極めて判断が難しい問題な気がします。
最近「Alone Together: Why We Expect More from Technology and Less from Each Other」という本を読んだら、ついついこんなことを考えてしまいました。和訳はないようですがなかなか興味深い本です。英語が不自由でない方は是非チャレンジしてみてください。
おすすめです。
PS:なお、この続きに当たるような記事を書きました。こちらです。
バーチャルはリアルをどこまでも浸食
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私も企業勤めの時にはいつでもどこでもメールを読んだり書いたりしていました。またテキストメッセージもひっきりなしに来ていました。時間が根本的に足りず、家族とテレビをいっしょに見ている時ですらソファーの端でラップトップを広げ、常に何かやっていました。iPhoneが支給されてからはますますその傾向に拍車がかかり、本当に常に仕事をしていました。こんな生活をしている人、今では少なくないでしょう。
振り返ってみると仕方がなかったとはいえ、家族には悪かったな…と感じています。
そして遂に会社勤めを辞め、このマルチタスク生活に終わりを告げる時がやって来ました。退職を機に携帯電話も処分してしまったので、家族に向き合う時間が増える…はずでした。
しかし、時代はマルチタスクからマルチライフの時代に移り変わっていたのです。
マルチライフってなんだって?
読んで字の如く、複数の人生です。
誰でも家族や友人とご飯を食べたり喋ったりするリアルライフがありますが、その一方でFacebookのアップデートを覗き込んだり、twitterにコメントしたりされたりと、リアルライフと並行してもうひとつのバーチャルライフがあるんです。そして仕事のメールから解放されたら、今度はそのバーチャルライフにつぎ込む時間が劇的に増えてしまったのです。
そしてこれはおそらく私だけではなく、世の中の多くの人がそうでしょう。
この「マルチライフ」を実感したのは、2年ほど前に知り合いのお葬式に行った時のことです。
お葬式って人生の中でも数少ない、自分の120%のアテンションを故人とその残された家族や友人に向け、故人を偲ぶべき時間だと思うんです。
でも談笑しながらコッソリとテキストしたりFacebookを覗き込んでいる人、数名ですがいました。
葬儀でこの始末ですから、喫茶店などで談笑しているグループなども全員が代わる代わるスマートフォンを覗き込んでいるんです。当然ながら目の前にあるリアルな会話につぎ込まれるアテンションは以前の半分かそれ以下です。
またちょっと前までは思春期の子供がケータイのメールにかかりきりで食卓でも上の空、なんて問題視されていましたが、いまやうっかりすると親の方も子供なんか見ちゃおらず、意識は半分バーチャルライフです。
これじゃ一体どっちがリアルでどっちがバーチャルなのか微妙なくらいです。
さて、まあこれはこれで新しい人生の形態なんだと思うことにしましょう。良くも悪くも今はリアルとバーチャルがくっ付いた時代ですから、これも新しいリアルなんだと割り切る必要がある部分もあるでしょう。
しかしですね…。昔なら例えば大学に進学すると、それまでの友達とは基本的に付き合いが切れて、「新しい自分」をやり直せるような部分があったと思うんです。そして地元に帰った時だけあんまり冴えない、それでいてちょっと安心できる「昔の自分」に戻るみたいな。
でも高校の時からFacebook に300人も400人も友達が居て、大学に行こうが海外に移住しようがそれがみんなくっ付いてくるってどうなんでしょうか?これではやり直しもクソもありません。そういうのが幸せなのか微妙な気がします。
また中学や高校時代といった若い時期には、部活動などの距離が近過ぎて息苦しいような濃密な人間関係の中で、人との付き合い方や距離の取り方、あるいは我慢の仕方など色々と学んだと思うんです。でも今ではだれでもちょいとケータイを取り出して意識は半分「あちら側」に飛ばせてしまうのです。これは果たして人間の成長に良いことなのかどうか、極めて判断が難しい問題な気がします。
最近「Alone Together: Why We Expect More from Technology and Less from Each Other」という本を読んだら、ついついこんなことを考えてしまいました。和訳はないようですがなかなか興味深い本です。英語が不自由でない方は是非チャレンジしてみてください。
おすすめです。
PS:なお、この続きに当たるような記事を書きました。こちらです。
バーチャルはリアルをどこまでも浸食
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まずは中身
昨日、佐々木俊尚氏の「ネットがあれば履歴書はいらない」という本を読みました。
最近本を出したばかりの駆け出し作家の私にとっては非常に参考になる本で、「フムフム」、「なるほどなるほど」などと言いながらあっという間に読んでしまいました。
そして早速参考にさせて頂いて、Facebook、Twitter、そしてこのブログのプロフィールの写真を統一しました。(これこれ→)自分の本の帯に顔写真が付いて全国の書店で売ってますし、今更顔を隠しても意味がないので、サングラスをかけていたこれまでのプロフィール写真はオサラバです。
そして昨日社内でのセルフブランディングとも言える「猛禽類とどうやって戦うのか」というエントリーを書いたのですが、書きながら改めて思いました。
ブランディングってそもそも
中身がないと無理ないんじゃないの?
例えばマズいレストランとかダサい服とかブランディングのしようがありません。無理なんです。マズいワインはどんな素敵なボトルに入れてもマズいままなんです。
個人も同じ。そもそも売りがなければブランディングもクソもありません。
そしてブランディングをするに値がある中身を創り上げるには年単位の努力が必要です。中身がない人がいくらブランディングしても無意味、無効果です。それどころかむしろ逆効果かも知れません。周囲から「そんな暇あったら仕事しろ!」などと思われるのがオチであるような気がします。実際ブランディングに使う時間を仕事や勉強に使った方がよほど役に立つでしょう。
これってなんとなく「英語が出来れば素晴らしい未来が待っている!」的な宣伝文句にも通じるところがあるように思いました。
どんなに英語が出来ても、それだけではただの英語屋が関の山です。手に職があるとかマーケティングに詳しい開発の現場で実績があるとか、なんか売りがあって初めて英語力が意味をなし、自分の世界を大きく広げてくれます。
自分がナンボのモノなのかは、激しい競争の中に飛び込んでみないとなかなか分からないものです。敢えて人と比べなくても、色々と血みどろ汗みどろになって四苦八苦するうちに、いつの間にかある特定の分野に関してはキチンと自信を持って発言できるようになってきます。
とはいえ、「半人前はセルフブランディングするな!」とか「半人前は英語勉強しても無駄だ!」などと言っているわけではありません。私自身、先に英語が出来るようになって、その後に:
あれ、オレって英語できるけど中身ないじゃん
って気が付いて真面目に仕事をするようになりましたから、まあブランディングも英語もやりたいと思った時が旬だと思います。それに取りあえず英語が出来るお陰で通訳代わりにけっこう重要な仕事のお供をさせてもらったりして仕事憶えましたから、英語が導いてくれた世界もあります。ただ英語もブランディングも魔法の杖ではありません。大切なのはやっぱり
中身です。
さてこんな中身のないエントリーが書き終わったところで、その辺でひなたぼっこしてうたた寝をし、さらに中身のない時間を過ごすとしましょう。
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最近本を出したばかりの駆け出し作家の私にとっては非常に参考になる本で、「フムフム」、「なるほどなるほど」などと言いながらあっという間に読んでしまいました。
そして早速参考にさせて頂いて、Facebook、Twitter、そしてこのブログのプロフィールの写真を統一しました。(これこれ→)自分の本の帯に顔写真が付いて全国の書店で売ってますし、今更顔を隠しても意味がないので、サングラスをかけていたこれまでのプロフィール写真はオサラバです。
そして昨日社内でのセルフブランディングとも言える「猛禽類とどうやって戦うのか」というエントリーを書いたのですが、書きながら改めて思いました。
ブランディングってそもそも
中身がないと無理ないんじゃないの?
例えばマズいレストランとかダサい服とかブランディングのしようがありません。無理なんです。マズいワインはどんな素敵なボトルに入れてもマズいままなんです。
個人も同じ。そもそも売りがなければブランディングもクソもありません。
そしてブランディングをするに値がある中身を創り上げるには年単位の努力が必要です。中身がない人がいくらブランディングしても無意味、無効果です。それどころかむしろ逆効果かも知れません。周囲から「そんな暇あったら仕事しろ!」などと思われるのがオチであるような気がします。実際ブランディングに使う時間を仕事や勉強に使った方がよほど役に立つでしょう。
これってなんとなく「英語が出来れば素晴らしい未来が待っている!」的な宣伝文句にも通じるところがあるように思いました。
どんなに英語が出来ても、それだけではただの英語屋が関の山です。手に職があるとかマーケティングに詳しい開発の現場で実績があるとか、なんか売りがあって初めて英語力が意味をなし、自分の世界を大きく広げてくれます。
自分がナンボのモノなのかは、激しい競争の中に飛び込んでみないとなかなか分からないものです。敢えて人と比べなくても、色々と血みどろ汗みどろになって四苦八苦するうちに、いつの間にかある特定の分野に関してはキチンと自信を持って発言できるようになってきます。
とはいえ、「半人前はセルフブランディングするな!」とか「半人前は英語勉強しても無駄だ!」などと言っているわけではありません。私自身、先に英語が出来るようになって、その後に:
あれ、オレって英語できるけど中身ないじゃん
って気が付いて真面目に仕事をするようになりましたから、まあブランディングも英語もやりたいと思った時が旬だと思います。それに取りあえず英語が出来るお陰で通訳代わりにけっこう重要な仕事のお供をさせてもらったりして仕事憶えましたから、英語が導いてくれた世界もあります。ただ英語もブランディングも魔法の杖ではありません。大切なのはやっぱり
中身です。
さてこんな中身のないエントリーが書き終わったところで、その辺でひなたぼっこしてうたた寝をし、さらに中身のない時間を過ごすとしましょう。
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2012年5月13日日曜日
猛禽類とどうやって戦うのか
さて先日書いた「グローバル企業のトップはみんな猛禽類」という記事、僅か1日で5万ビューを突破し、その関心の高さに驚くとともに、「一体こんな連中とどんなふうに戦えばいいのか?」というようなコメントを多数頂きました。
まずご安心頂きたいのは、こういうとんでもない連中はトップクラスの連中で、世の中の大半を占める私やあなたのような人達の直属の上司になるようなことはまずないことです。またこの超トップクラスはある意味清々しささえ漂っており、尊敬の対象になりこそすれ、戦おうなんて気が起きないものです。
私はこの左上の写真の、テキサスの牧場で散弾銃に弾込めていそうなBob Mansfield氏の下の、そのまた下に位置していました。恐ろしく厳しい人でしたが、フェアな人でした。尊敬していました。またこういう人達はあまり突出した才能があるせいか、案外たいした大学を出ていないのに要職に就いていたりします。天才には学歴なんて不要なのかも……とも思います。ちなみにBob Mansfield氏はテキサス大学(!)の電子工学専攻で、それが最終学歴です。iPodの父と言われるTony Fadell 氏もミシガン大学の卒業生で、大学院には行っていません。
厄介なのはこう言った雲の上の人達ではなく、それよりも1〜2ランク下にいる、気分だけは超一流気取りで、イヤなところだけ偉い人達の真似をし、出世することにとにかく必死な人達です。ボーディングスクールからアイビーリーグスクールの院卒、と言った学歴の人が多く、確かに頭も切れ仕事もできますがエゴもプライドも極度に肥大しています。
そういう人達、性質的には「グローバル企業のトップはみんな猛禽類」で書いたそのももです。ですが天上人たちのような的確なビジョンや突出したリーダーシップがあるわけではありません。
あなたがそういう人の部下だとすると、あなたの手柄は全部その人の手柄にされますし、それでいてあなたに利用価値がなくなったと見るやサヨナラです。ホントに躊躇せず人を刺します。ある意味トップクラスの連中よりもずっと性悪です。
ではそういう人には一体どうやって対抗すればいいんでしょうか?
それには自分を商品化し、社内の上層部に広く知られるようにするしかありません。こういう人達に口で勝つのはまず無理な上、政治力でも敵いませんし、労働時間ですら負けてしまいがちです。
詳しくは「僕がアップルで学んだこと」に書きましたが、あなたの成果を横取りされないようにするには、あなたの成果が広く知れ渡るような自分自身のブランド化とマーケティングが必要です。
社内には多くのメールやレポートなどが飛び交います。自分から発信するメールやレポート、またメールの返事などはすべて情報発信の機会と考え、常にビシッとした情報を出すことが非常に大切です。
今や自分の書いたブログ記事がtwitterやメールなどで拡散され、思わぬ形で世の中の人々に「発見」される事がありますが、社内ですらそういうことが起きる時代です。的確に問題点をえぐり出したレポートや目を惹く提案書などがあると、それが瞬く間に転送されて拡散する時代です。ですから末端の社員でも上級管理職の人たちに「発見」されることも起こりうるのです。またそういったコンテンツを盗用されないような工夫も大切です。
こうしたことを的確に行うには、自分の得意分野、専門分野といったものをよく考え、自分を売るための「ストーリー」を日頃から持っておくことが大切です。するとこうした情報発信の際の拠り所となり、的確なイメージ作りを行っていくことができます。
自分の成果や手柄を守る意味でも、こうした自分自身のマーケティング、外資系や米国の企業で働く人はすぐにでも取り入れることをおすすめします。
まずご安心頂きたいのは、こういうとんでもない連中はトップクラスの連中で、世の中の大半を占める私やあなたのような人達の直属の上司になるようなことはまずないことです。またこの超トップクラスはある意味清々しささえ漂っており、尊敬の対象になりこそすれ、戦おうなんて気が起きないものです。
私はこの左上の写真の、テキサスの牧場で散弾銃に弾込めていそうなBob Mansfield氏の下の、そのまた下に位置していました。恐ろしく厳しい人でしたが、フェアな人でした。尊敬していました。またこういう人達はあまり突出した才能があるせいか、案外たいした大学を出ていないのに要職に就いていたりします。天才には学歴なんて不要なのかも……とも思います。ちなみにBob Mansfield氏はテキサス大学(!)の電子工学専攻で、それが最終学歴です。iPodの父と言われるTony Fadell 氏もミシガン大学の卒業生で、大学院には行っていません。
厄介なのはこう言った雲の上の人達ではなく、それよりも1〜2ランク下にいる、気分だけは超一流気取りで、イヤなところだけ偉い人達の真似をし、出世することにとにかく必死な人達です。ボーディングスクールからアイビーリーグスクールの院卒、と言った学歴の人が多く、確かに頭も切れ仕事もできますがエゴもプライドも極度に肥大しています。
そういう人達、性質的には「グローバル企業のトップはみんな猛禽類」で書いたそのももです。ですが天上人たちのような的確なビジョンや突出したリーダーシップがあるわけではありません。
あなたがそういう人の部下だとすると、あなたの手柄は全部その人の手柄にされますし、それでいてあなたに利用価値がなくなったと見るやサヨナラです。ホントに躊躇せず人を刺します。ある意味トップクラスの連中よりもずっと性悪です。
ではそういう人には一体どうやって対抗すればいいんでしょうか?
それには自分を商品化し、社内の上層部に広く知られるようにするしかありません。こういう人達に口で勝つのはまず無理な上、政治力でも敵いませんし、労働時間ですら負けてしまいがちです。
詳しくは「僕がアップルで学んだこと」に書きましたが、あなたの成果を横取りされないようにするには、あなたの成果が広く知れ渡るような自分自身のブランド化とマーケティングが必要です。
社内には多くのメールやレポートなどが飛び交います。自分から発信するメールやレポート、またメールの返事などはすべて情報発信の機会と考え、常にビシッとした情報を出すことが非常に大切です。
今や自分の書いたブログ記事がtwitterやメールなどで拡散され、思わぬ形で世の中の人々に「発見」される事がありますが、社内ですらそういうことが起きる時代です。的確に問題点をえぐり出したレポートや目を惹く提案書などがあると、それが瞬く間に転送されて拡散する時代です。ですから末端の社員でも上級管理職の人たちに「発見」されることも起こりうるのです。またそういったコンテンツを盗用されないような工夫も大切です。
こうしたことを的確に行うには、自分の得意分野、専門分野といったものをよく考え、自分を売るための「ストーリー」を日頃から持っておくことが大切です。するとこうした情報発信の際の拠り所となり、的確なイメージ作りを行っていくことができます。
自分の成果や手柄を守る意味でも、こうした自分自身のマーケティング、外資系や米国の企業で働く人はすぐにでも取り入れることをおすすめします。
2012年5月12日土曜日
カモが庭に!
今日夕方買い物に行った妻が、家に入ってくるなり「アヒルがいる!アヒルがいる!」というではありませんか。
「ちょっとちょっと来て!」と乞われるままに外に行くとなんと:
確かにいますよ。でもアヒルじゃありません。カモです。置物じゃありません。
もう一羽。
くつろいでいます。
スプリンクラーの水しぶきを浴びながらくつろいでいました。
一体このアヒルカモたちはどこからきたんだろうか?
その後時々チェックしましたが、6時から9時ごろまでいました。
9時すぎに見てみると居なくなっていました。
一体暗闇の中、どこに行ってしまったんだろうか…… 不思議です。
妻は「ガー子はどこに行ったのかなあ……」と呟いていました。もう名前付けたのかよ、と突っ込みを入れつつも、私もガー子とガー吉がどこに行ったのか気になります。
また来てくれるといいなあ…。
2012年5月7日月曜日
「地球にやさしい」って何様のつもり?
「地球にやさしい」ってよく耳にするフレーズです。
しかしね、よくよく考えてみると随分偉そうなフレーズです。
まず、どんだけ上から目線なんだか。
地球から見たら人間なんてドンドン繁殖するインフルエンザ・ウイルスのようなものです。
現に人間ってインフルエンザ・ウイルスみたいに増殖しまくりです。2050年に92億人とかどんだけ増えんだよ、って感じです。
で、中国とかブラジルとかそういった新興国がますますエネルギーを消費して温室効果ガスとか排気ガスとか出しまくりで「地球にやさしい」とか寝ぼけ過ぎにもほどがあります。これだけ人口が増え、エネルギー消費が増えれば、やがてエネルギーやら水やら食糧やらがいい加減枯渇し、とっても大変な時代が来るでしょう。しかしそこはウイルス並みの思考力の人間ですから、おかまいなしで資源使いまくりです。
さて仮に水や食糧やエネルギーが深刻に不足する日が来たとして、困るのは人間です。
断じて地球ではありません。
食糧争奪戦でも起きて人間が滅びてしまえば、地球はかえってハッピーかも知れません。
地球上ではこれまでも様々な生物が誕生し、栄え、そして滅びていきました。地球から見たら恐竜も人間も大差ないでしょう。
それに何となく今のような緑と水に包まれた姿が地球の自然な姿だと思い込んでいますが、もしかしたら火山がドンドン爆発して火山灰に覆われたり、地震とか起きまくって大陸とか動きまくっているのが本来の姿で、いま地球は休憩中なのかも知れません。
こうしてみると「地球にやさしい」なんてスローガン、どんだけ思い上がってんだか、って感じです。インフルエンザのウイルスが人間の体内で「人間にやさしい生活をしよう!」とか言っているようなものです。
人間だってハエや蚊がうるさいと腹を立てて殺してしまいます。同じように地球だって「人間うざいな」と思って怒りださないとも限りません。
ですからもっと謙虚に、「地球にやさしい」じゃなくて「地球様がお怒りにならない」、そして「自分たちや自分たちの子孫にやさしい」生活を心がけ、人間にとって住みやすい今の状態を1日でも長く保とうではありませんか。
応援よろしく!→
しかしね、よくよく考えてみると随分偉そうなフレーズです。
まず、どんだけ上から目線なんだか。
地球から見たら人間なんてドンドン繁殖するインフルエンザ・ウイルスのようなものです。
現に人間ってインフルエンザ・ウイルスみたいに増殖しまくりです。2050年に92億人とかどんだけ増えんだよ、って感じです。
[UNFPA(国連人口基金)東京事務所:世界人口推移グラフ]より。
で、中国とかブラジルとかそういった新興国がますますエネルギーを消費して温室効果ガスとか排気ガスとか出しまくりで「地球にやさしい」とか寝ぼけ過ぎにもほどがあります。これだけ人口が増え、エネルギー消費が増えれば、やがてエネルギーやら水やら食糧やらがいい加減枯渇し、とっても大変な時代が来るでしょう。しかしそこはウイルス並みの思考力の人間ですから、おかまいなしで資源使いまくりです。
さて仮に水や食糧やエネルギーが深刻に不足する日が来たとして、困るのは人間です。
断じて地球ではありません。
食糧争奪戦でも起きて人間が滅びてしまえば、地球はかえってハッピーかも知れません。
地球上ではこれまでも様々な生物が誕生し、栄え、そして滅びていきました。地球から見たら恐竜も人間も大差ないでしょう。
それに何となく今のような緑と水に包まれた姿が地球の自然な姿だと思い込んでいますが、もしかしたら火山がドンドン爆発して火山灰に覆われたり、地震とか起きまくって大陸とか動きまくっているのが本来の姿で、いま地球は休憩中なのかも知れません。
こうしてみると「地球にやさしい」なんてスローガン、どんだけ思い上がってんだか、って感じです。インフルエンザのウイルスが人間の体内で「人間にやさしい生活をしよう!」とか言っているようなものです。
人間だってハエや蚊がうるさいと腹を立てて殺してしまいます。同じように地球だって「人間うざいな」と思って怒りださないとも限りません。
ですからもっと謙虚に、「地球にやさしい」じゃなくて「地球様がお怒りにならない」、そして「自分たちや自分たちの子孫にやさしい」生活を心がけ、人間にとって住みやすい今の状態を1日でも長く保とうではありませんか。
応援よろしく!→
2012年5月6日日曜日
グローバル企業のトップはみんな猛禽類
先日「グローバル人材の幻想 - 青い鳥を追いかけるまえに、ファンタジーから目を覚ませ」という実も蓋もないブログを読んで吹き出してしまいました。
そうそう。英米の有力企業の幹部の多くは、高校あたりからボーディングスクールに行って、大学/大学院は英米の超一流大学を出ています。IT業界なんてマシな方で、もっと昔から確立されている金融業なんて本当にボーディングスクール→アイビーリーグの院卒ばっかりです。
そんな中で日本で大学まで通ったごく普通の日本人がこういう連中と押し合いへし合いやりつつ上級幹部にまで成り上がれるかと言ったら99.9%無理でしょう。
でも私、これは超一流校の大学院出てないとか英語がマズいとか実力がないとかコネがないせいだとは思っていないんです。もっと根本的な問題です。
グローバル企業の上級幹部になるような連中は肉食の猛禽類なんです。日本ではまったくお目にかからないような連中です。ではどんなふうに猛禽類なのかご説明しましょう。
そうそう。英米の有力企業の幹部の多くは、高校あたりからボーディングスクールに行って、大学/大学院は英米の超一流大学を出ています。IT業界なんてマシな方で、もっと昔から確立されている金融業なんて本当にボーディングスクール→アイビーリーグの院卒ばっかりです。
そんな中で日本で大学まで通ったごく普通の日本人がこういう連中と押し合いへし合いやりつつ上級幹部にまで成り上がれるかと言ったら99.9%無理でしょう。
でも私、これは超一流校の大学院出てないとか英語がマズいとか実力がないとかコネがないせいだとは思っていないんです。もっと根本的な問題です。
恐ろしく弁舌が立つ
この人達と議論をして負かせたら本当にたいしたものです。私には到底無理ですね。私、日本語で議論するとたいてい誰にもで勝ちますが、あれは日本人が議論慣れしていないからです。小学生から大学院までプレゼンだディベートだと繰り返し、揉まれ続けて社会に出てきた彼らと渡り合うのは並大抵じゃありません。更にこの連中はそういう弁舌が立つ人達の中でも特別弁舌が立つんです。普通の日本人がこいつらに弁舌で張り合うのは、竹槍でマシンガンと戦うぐらい差があります。弱みを見せない
自らの弱みを見せ、「私もあなたも同じような悩みを持つ一人の人間ですよ」なんていうポーズ、彼らは絶対にしません。下の者の飲みにいって人間らしい一面を見せるとか…… そんなことはあり得ません。もしも彼らが人間らしい一面を見せたら、それは計算された演出であると疑った方がいいでしょう。彼らは自分たちが優秀だと自覚していますし、自負もあります。弱みなんて見せたらつけ込まれるだけです。ガードを降ろしてボンヤリしている人、誰もいません。プレッシャーに強い
グローバル企業で中間管理職をやっていた私ですら、熱湯風呂を我慢しているような辛さでした。彼らが背負うプレッシャーたるや、私のそれとは比較にもならないでしょう。でもノイローゼで辞めた人とか、休職した人とか一人も知りません。本当にタフな連中です。異常に働く
アップルのSr. VPと呼ばれるジョブズの側近だったような連中は朝4時、5時といった時間から働いています。そしてこっちがバケーションに出ていようが、国民の休日だろうが、子供の世話だろうとおかまいなし。メールや電話が雨あられとかかってきます。一体いつ寝ているのかと思うほどです。しかもいつもこのペースです。ここまで働く人達、日本ではもうあまりお目にかからないと思います。右手で握手をし、左手で背中から刺す
損得勘定や社内政治に非常に敏感で、どの人と組むべきなのか、どの人と距離をおくべきなのか常に計っています。そして自分に災いが降り掛かってくると察知したら、昨日の友人だって平気で背中から刺し、蹴落とすような連中です。そんなバカな!と思うかも知れませんが、これが「ゲームのルール」なんです。ですので刺しても刺されてもお互いさまです。アメリカの大統領選の誹謗中傷合戦なども日本人の感覚だとあり得ないような気がしますが、こういう連中と仕事をすると、アメリカの大統領選に強い既視感が湧いてきます。アドレナリン・ジャンキー
この人達、すでに大金持ちでまったく働く必要がありません。が、常に権力争いの渦中に身を置き、心身を削って戦い続けます。根っからが猛禽類なので、誰かを噛み殺していないと生きている感覚が得られないのかも知れません。アドレナリンを求めずにはいられない、アドレナリン・ジャンキーなんです。2012年5月2日水曜日
ゴムマットを敷いた
さて、フロントヤードの芝生を張り替え終わったので、今度はバックヤードの芝生を剥がし、ここに厚さ8センチほどのラバーマットを敷き詰めました。
疲労困憊のあまり、写真があんまり撮ってありません。
まずは芝生を剥がし、深さ10センチほどの深さに掘り下げたところ。ここまででもう1.3トンほど土が出ました。トラッック2杯半てところです。もう土砂を見るのもイヤです。
で、ここに雑草が生えるのを押さえるシートを弾き、砂を撒いて高さを整え、マットを敷き始めした。
おおよそ敷き詰めたところで、今度は大きさがそのままではフィットしないところをカッターで切り落としていきました。ゴムだからカッターで切れますが、さすが厚さ7.5センチっていうと並大抵じゃありません。作業が終る頃には握力ゼロになりました。
完成写真がありません。疲れ過ぎて撮るの忘れました。またそのうち撮って付け足しましょう。
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