2011年6月26日日曜日

127時間

「127時間」(127 Hours)という映画を観ました。

これ実話をほぼ忠実に再現した話です。まずはトレーラーをどうぞ。



現実の出来事は2003年の4月に起きました。アウトドアショップで働く若者、アーロン・ラルストンは休日にトレッキングに出掛け、不意に事故に遭い落石によって手を挟まれ、身動きが取れなくなくなってしまいます。日帰りの予定だった彼は最小限度の水と食料しか持ち合わせておらず、必死に生還を試みます。

この127時間の間、アーロンは持ち合わせのビデオカメラに家族や友人への「遺言」を録画してゆきます。

そして...

ネタばれは止めときますが、この出来事は全米で報道され特集番組まで組まれての大騒ぎでした。

人生を考えさせてくれるいい作品です。

今まで観た映画の中で1、2を争うほどいい映画でした。強くお勧めします。

ただ描写が非常に強烈なので15歳以下の子供には見せない方がいいかもしれません。

現在日本で公開中のようなので是非どうぞ。


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2011年6月25日土曜日

人間の性格を変えるもの

人間って一般的にはひとつの人格があり、沢山人格があったら「多重人格」と呼ばれ、精神的な問題であるとされています。たとえば一般的なイメージとしては、犯罪者はそもそも脳に欠陥があるとか、あるいは育った環境が非常に悪く、遅かれ早かれ犯罪を犯してしまう下地がある、などのように思われています。そして重大な事件の犯人が捕まると週刊誌などが犯人の過去を暴き立て「さもありなん」と思わせてくれます。

その一方で「真面目で良いお父さんだったのに信じられない」などのような報道がなされる事件も少なくないわけです。

では「正直な人」は常に正直なんでしょうか?会社でも家庭でも学校でも旅行先でも常に正直なんでしょうか?あるいは「明るい人」は車の中でも家の中でも会社でも家庭でも明るいんでしょうか?社交的な人は常に社交的でしょうか?大人しい人はどんな場面でも大人しいんでしょうか?

私は人間の人格なんて一定の傾向はあるにせよ、まあ言ってみればお芝居のようなもので、学校、家庭、部下の前、同僚の前、上司の前、あるいは見知らぬ土地などと場面が変わればおのずと変わるものなんじゃないかと思います。

私の兄は友だちの前では大人しい子供でしたが家ではまさしく暴君でした。いわゆる内弁慶というヤツです。つまり家庭に置ける彼の性格は、友だちの前に置ける彼の性格と著しく異なったのです。父も誰からも「優しいお父さんね」と言われるような人でしたが、家庭ではかなり暴力的な怖い存在でした。そういう自分だって自覚がないだけで外と家庭ではかなり違うかも知れません。

友だちに学校の外で会うとなんだか別人にあったような気がする友だちっていませんでしたか?あるいは金持ちになった途端に振舞いが変わった知り合いとか?

これらは「状況が変わって本性が出た」と考えるよりも、自分の置かれている人間関係の中でインターフェイスが最適化されていると考えた方が理にかなっていると思います。

有り体に言えば人間の性格や行動原理は、環境によって大きく変わってしまう、というわけです。

例えばニューヨーク市。1991年から2004年までの13年間の間に犯罪発生率が75%も下がりました。だからといって別にニューヨークの人口が75%入れ替わったわけではありません。貧困が劇的に改善したわけでもありません。ただ「割れ窓理論」と呼ばれる考え方が導入され、以前は取り締まりの対象にすらならなかった落書きや麻薬の常習、あるいは立ち小便や鉄道の不正乗車などが厳格に取り締まられるようになったのです。すると街が小奇麗になり、小奇麗になると、あれよあれよという間に犯罪が減ってしまったのです。

これは冷静に考えてみるとすごいことです。それまで殺人や強盗、麻薬売買などが警察の手がまったく足りないほど日常的に発生していたのに、住んでいる人が入れ替わったわけでもないのに、こうしたわずかな治安のやり方の変更で人々の行動様式が180度反転してしまうのですから。

犯罪を犯していた人達も「心を入れ替えた」などという自覚はないでしょう。ただ以前のニューヨークでは「犯罪を犯す危ない人」でいるのが適切な在り方であり、現在は「小奇麗な都会人」が生きやすい在り方の街になったんだと思います。

「善きサマリア人の実験」と言われる有名な心理学の実験があります。プリンストン大学のジョン・ダーリー教授とダニエル・バッソン教授によって実施されました。

「善きサマリア人」というのは、新約聖書に出てくるお話です。

「ある旅人が追いはぎに襲われ、半死半生のまま道ばたに倒れていた。通りかかった司祭もレビも道の反対側を通り過ぎていった。ただ一人助けたのは、蔑まされていた少数民族のサマリア人だった」というお話です。

この実験では、任意に選んだ神学生に、聖書のテーマに基づく談話を近くの建物まで歩いていって発表してくれるよう、依頼します。すると歩いていく途中に、行き倒れている人がいるのです。

この実験では、
- 学生が神学を選んだ動機
- 談話のテーマが「職業としての聖職者と宗教的使命の関係」か「善きサマリア人の話」

によって立ち止まって助けようとするか人に有為な差があるかどうかを調べました。

ところがこの実験にはもうひとつの隠されたテーマがありました。
実は半分の学生には、「あ、遅刻だ。先方はすでに待っているから急いだ方がいい」と言って急かして送り出し、もう半分の学生には、「まだ時間はあるけど、そろそろ出かけたらどうか」と言って送り出したのでした。

神学を志すような学生ですし、なおかつ半分の学生は「善きサマリア人」の話をしに行くわけですから、多くの学生が立ち止まって倒れている人を助けるだろうと思うじゃないですか?

ところが実際には「急かされたかどうか」が結果を左右してしまいました。急かされた学生で立ち止まったのはわずか10%!、で時間の余裕のある学生の間では63%だったのです。話の内容はあまり影響がありませんでした。

よく「怪我をしている人がいるのに手当をしている人はわずか一人で、その他の人は救急車を呼ばずにケータイを出して写真を撮っていた」などと報道されたりしますが、まわりでケータイで写真を撮っている人が特別薄情というわけでもなく、おそらく周囲の行動様式に影響を受けてしまうんでしょう。

人間の性格には、おそらくあまり変わらない「地の部分」もあるとは思うんですが、性格というのは多分自分たちが考えているよりもずっとずっと環境の影響を受け易いんじゃないかと思います。

学校や塾の先生、会社で大勢の部下を使うような立場にいる方、あるいは顧客を増やしたいお店の経営者などは、どのような環境を構築すると学生や部下やお客さんの行動様式を望む方向に変えられるのか考えてみるのも面白いかも知れません。


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2011年6月18日土曜日

トラックの荷台に鍵を付けた

2年ほどに買ったトラック、タコマはえらく気に入っていますが、気に入らない点が何点かあります。

そのうちの一点が、後ろの荷台の扉に鍵がかからないことです。

これは別にタコマに限らず大抵のトラックがそうなんですが、しかしせっかくトノ・カバーを付けたので、これで後ろに鍵がかかれば、普通の車のトランクのようにちょっと荷物を置いておいても安心、というような状況になれるわけです。しかもアメリカってこのトラックの荷台の扉を盗むバカまでいるので、どうしても鍵をかけられるようにしたいと思っていました。

でもですね、このトラックの後ろの取っ手のところには純正品の状態でカメラが仕込んであり、ギアをバックに入れると後ろの様子が運転席から見れるようになっているんです。なので市販品の鍵付きの取っ手と取り換えてしまうと、このカメラが無くなってしまうので躊躇していました。

ところがPop & Lock という会社がカメラが付けられる鍵付きの取っ手を発売したので取り寄せてみました。

こんなの。



$46です。5000円ぐらいって感じですね。
で、早速取り付けてみました。

まず扉を開けて、分解します。ネジが十数個付いている上に変な星形のネジ穴だったのでワザワザねじ回しを買ってきました。

こんなネジ(ピンぼけで悪しからず)


裏が外れたところ。


まずは今までの取っ手を外します。これはネジ2つだったのでモノの数分で外れました。そして取っ手のユニットからカメラのユニットを外します。これもネジ2つで楽勝でした。



これがカメラユニット。既存のハーネスがくっ付いたままです。新しいハーネスにしないと新しい取っ手に付きません。そのためには一度カメラに繋がっているケーブルを抜かなければならなかったのですが、そこがどういうふうに接続されているのか判らなく...防水仕様のようですが、外し方が判らず、苦戦しました。




これがカメラの裏側。私の親指の爪のすぐ上の部分がフックになっていたようで、ここをペンチで挟んで引っ張ったらあっさり抜けましたが、それを解明するのに時間がかかりました。




やっと取れた...カメラだけだとこんなに小さいです。




ここまでくれば後は簡単でした。新しいハーネスを装着し、新しい取っ手にネジ止め。そしてその取っ手そのものを扉にネジ止め。

新しいハーネスを付けたカメラ。



新しい取っ手を装着。




しかしカメラ用のワイヤー類が届きません。なので配線を貼り直してカメラに接続します。

完成!



さっそく車に乗ってカメラをテストします。
エンジンをかけ、ギアをバックに入れてバックミラーを覗き込みます。この車、バックミラーの一部が画面になっていて、そこに後ろのカメラに写った様子が表示されるんです。

ほら、バッチリ!



これで念願の鍵付きの扉になりました。

この車、あともうちょっとだけイジろうかと思います。

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2011年6月16日木曜日

ブドウが着々と育ってきた

さて去年の10月ごろに植えたブドウですが... 着々と育ってきました。

去年植えた時にはこんな感じだったのですが...



グンと背も伸び、葉っぱも増えてこんな感じになりました。



上の棚の部分にも伸び始めました。





そして遂に実がなってきました。

4月3日に撮った「実」。親指の爪よりも小さかったんですが...


それが5月13日はこんなふうになり、


今日、6月16日には更に大きくなってきた上、遂に実の形を成してきました。




このブドウがいつになったら食べれるようになるのかは全く不明ですが、まあきっとなんかできるでしょう。

楽しみです。

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2011年6月15日水曜日

今年も杏の季節がやってきた

今年もまた杏の季節がやってきました。

去年に比べるとちょっと実の数が少ないようですが、それでも食べきれないほどなっていそうです。

取りあえず採った分。



気にもわんさか実がなっています。





去年はジャムやらなにやらを作ったりして面白かったので今年もトライしてみたいともいます。


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2011年6月12日日曜日

熟考すべきか、即決すべきか?(2)

前回は熟考することの問題点をいろいろと書いてみましたが、今日は即決することの弱点を考えてみたいと思います。

- 即決はその時の感情に左右されやすい
例えば「オレオレ詐欺」などもパニック的な状況を装うことで標的の判断力を鈍らせるわけです。普段なら間違うはずのない息子の声を聞き違えたりさえします。人間の判断力が如何に感情に左右されやすいか如実に物語っていると思います。

- 即決は普段の無意識の思い込みに左右されやすい
例えば普段から「背広を着た人はマトモな社会人」、「ラフな服装の人は定職がないいい加減な人」などのような思い込みがあるとしましょう。自分では意識さえしていない思い込みの可能性すらあります。すると背広を着ている人が詐欺を働いた場合には容易にだまされてしまいますし、また誠実な人がラフな服装をしているだけでなんとなく信用出来ないような人に思えてしまう、ということも起きるでしょう。このような無意識の思い込みって沢山あります。「体育会系はハキハキしてる」、「黒人は運動が優れるが学力が劣る」などなど。

- 即決はその場の雰囲気に流されやすい
例えば津波が来るかもしれないので逃げなければいけないとしましょう。ところが誰も避難しません。するといわゆる「正常性バイアス」がかかり、安全なんだと思い込み避難を止めてしまいます。また「同調性バイアス」もしかりでしょう。みんなが持っているからこれを買う、というような。この手のバイアスから逃れるのは本当に困難です。

- コマーシャルなどに影響されやすい
この手のリサーチはもう死ぬほどされていますが、人間は例えば映画の中に映っていた炭酸飲料を買ってしまったりするものなのです。仮に本人がそれを見たことを憶えていなくても。だからこそ世の中には広告が氾濫しているわけですが。

- 即決はその時々の印象に左右されやすい
長嶋茂雄は常に注目を集める野球選手でした。しかし彼の生涯成績を見てみると、ホームランはライバルと称された王貞治の半分も打っておらず、なぜこの2人がライバルと言われたのかが不思議なほどです。しかし長嶋茂雄という選手は常に人気のある選手でした。スポーツに限らずこうした例は多いでしょう。例えば人事など、やはり数字を見て、時間をかけて解析し、決定した方がいいことも沢山あります。

人間は常に外界の情報を取り入れて行きている動物なので、即決するにせよ、熟考するにせよ、外界の出来事や印象に左右されるのはやむを得ないことです。また自分一人で考えていたら埒のあかなかったことが外界の情報を取り入れ、調べてみることで異なった視点を得ることも非常に多いと思います。

従って情報が少ない、と感じた時は取り入れ冷静になってみる、そして逆に「情報は十分にある」と感じた時には自分の直感を信じて動いてみる、といったあたりでしょうか?


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2011年6月5日日曜日

熟考すべきか、即決すべきか?

毎日毎日生活していると、色々な決めごとに直面します。今日は何を着ようか?から始まり、100円ショップで赤いハンカチにしようか、それとも黄色いハンカチにしようか、夕飯のおかずは何にしようか、あるいはこの女性/男性と結婚するべきかどうか、はたまた家を購入するべきかどうか、就職先はどこにしようか、などなどと人生は様々な決めごとの連続です。

すべての決めごとを熟考して決めるのは時間的に不可能ですが、なんでもかんでも行き当たりばったりの即決ってわけにも行かないでしょう。おそらく大半の人がコストの安い決めごと、たとえば洋服を買うとか、日用品を買うなどは即決し、就職先や結婚の相手、あるいは住宅の購入などは熟慮に熟慮を重ねて決定していると思います。

しかし、果たしてそういう決め方がいいのかどうかは判りません。私は初めての就職先はよくよく検討し、人にも相談し、色々と情報を集めて決めましたが、わずか3年足らずで辞めてしまいました。しかし成り行きで入社した会社には16年も在籍しました。

他にもこうしたことは色々とあります。ネットでよく調査し、店頭で実物を手に取ってみたのに買ってみたらなんとも言えず使い勝手が悪くて不満が募ってしまうケースもあれば、適当に選んだ割にはしっくり来て故障もなく使い続けている製品もあります。

また初めて買った家は建築家の友人にまで観てもらって決めたのに結局どうにも気に入らず3年足らずで引っ越してしまい、10分足らずで購入を決めた現在の家はよく馴染んでこれからも長く住みそうな予感です。

私は最近よく思うんですが、この即決と熟考の優先順位をアベコベにした方が実は理に叶っているんじゃないかないでしょうか?つまり重大な決定ほど即決に委ね、まあどうでもいいものほどよく考えて決めるんです。

なぜこう思うかと言うとですね、実は熟考する決定プロセスには色々と致命的な弱点があるような気がするからです。

- 製品や状況についての情報を集める段階で、収集した情報そのものから影響を受け、決定に偏りがかかってしまう。

- 情報を集めたことで判ったようなつもりになって満足してしまう。

- インターネットや新聞、雑誌、あるいはテレビなどに発表された情報は程度の差こそはあれど少なからず他人の目を意識して発信されているものなので、どの程度真に受けるべきかどうかそれ自体判断が難しい。

- 他人の意見を聞けば聞くほどいわゆる「同調性バイアス」がかかってしまう。「同調性バイアス」というのはみんながそうしているから自分もそうしようと言ったような集団心理のようなものです。当たり前のことですが大勢の人の意見を聞くということはその人達の意見に知らず知らずに同調してしまう、ということでもあると思います。

- 情報を採取していく過程で「正常性バイアス」がかかってしまう可能性が少なくありません。人間は安心していたい動物です。ですから外界から危険信号がやってくると、パニックを避け冷静に対処しなければという心理が過度に働き、今度は人は自動的に危険に対して感度を下げる癖があるというのです。今回の津波で逃げ遅れた方もこの「正常性バイアス」が過度に働いて逃げ遅れてしまったのではないか?と言われています。

- 情報を集め、沢山の時間をかけて考えると、この「熟考」した時間そのものが勿体なくなってしまいます。考えたのに使った時間が勿体なくなってしまうわけですね。なのでその結果辿り着いた決定を覆しにくくなってしまいます。ですがどんなに時間をかけた決定でも「やっぱりやめた!」というのが大事な時もあるわけです。そのことをつくづく意識しておく必要があると思います。

- 決定事項に振り回され柔軟性を失ってしまう。しっかりリサーチして旅行の予定などを立てると、却ってそれに縛られてつまらなくなったりもします。つまらなくなったりするぐらいならまだいいですが、決定事項に沿うことが目的化してしまい、本来の目的を見失ってしまう、などの弊害が起こりがちです。

- 家の購入や結婚生活、あるいは進路などの人生の長いスパンに跨がる決定事項は、時代の変化、配偶者や自分の健康状態、あるいは世の中の経済状態など、意のままにならない要素に左右される部分があまりにも多いので実は熟考するのに向いていない項目である可能性が高いと思います。

もう長くなってきたので続きは次回にしますが、熟考するデメリットってかなりあると思うんです。なのでむしろ重要なことほど、あまり情報を採りすぎずにスパッ!っと自分の直感を信じて即決する方が理に叶っているんじゃないか?と思う次第です。

では続きは「即決のデメリット」を書いてみようかと思います。

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2011年6月3日金曜日

ベットを修理

子供のベットが壊れたって言うんでマットを退かしてみたら下の骨が一本折れていました。



このベット安かったんですが、10年ほど前にアメリカに到着して2日目に買った思い出の品です。ですので修理する事にしました。全部パイン材でできている割と素敵なベットです。折れた材を取り外し、別のパイン材で同じ部材を作りました。



元の通りに嵌めてお終い。どこを治したのかちょっと判らないぐらいの出来映えでまあ満足です。



で、お終い。また最近DIY心が疼いてきました。またなんか作ったりするとしましょう。

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