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Brighture English Academy 代表。趣味はウクレレとかハイキングとかDIYとか旅行などなど。在米20年。シリコンバレーに住みつつ、日本とアメリカとフィリピンで会社経営しています。最近は英語教育がライフワークになりつつある。

2011年6月26日日曜日

人間の性格を変えるもの

人間って一般的にはひとつの人格があり、沢山人格があったら「多重人格」と呼ばれ、精神的な問題であるとされています。たとえば一般的なイメージとしては、犯罪者はそもそも脳に欠陥があるとか、あるいは育った環境が非常に悪く、遅かれ早かれ犯罪を犯してしまう下地がある、などのように思われています。そして重大な事件の犯人が捕まると週刊誌などが犯人の過去を暴き立て「さもありなん」と思わせてくれます。

その一方で「真面目で良いお父さんだったのに信じられない」などのような報道がなされる事件も少なくないわけです。

では「正直な人」は常に正直なんでしょうか?会社でも家庭でも学校でも旅行先でも常に正直なんでしょうか?あるいは「明るい人」は車の中でも家の中でも会社でも家庭でも明るいんでしょうか?社交的な人は常に社交的でしょうか?大人しい人はどんな場面でも大人しいんでしょうか?

私は人間の人格なんて一定の傾向はあるにせよ、まあ言ってみればお芝居のようなもので、学校、家庭、部下の前、同僚の前、上司の前、あるいは見知らぬ土地などと場面が変わればおのずと変わるものなんじゃないかと思います。

私の兄は友だちの前では大人しい子供でしたが家ではまさしく暴君でした。いわゆる内弁慶というヤツです。つまり家庭に置ける彼の性格は、友だちの前に置ける彼の性格と著しく異なったのです。父も誰からも「優しいお父さんね」と言われるような人でしたが、家庭ではかなり暴力的な怖い存在でした。そういう自分だって自覚がないだけで外と家庭ではかなり違うかも知れません。

友だちに学校の外で会うとなんだか別人にあったような気がする友だちっていませんでしたか?あるいは金持ちになった途端に振舞いが変わった知り合いとか?

これらは「状況が変わって本性が出た」と考えるよりも、自分の置かれている人間関係の中でインターフェイスが最適化されていると考えた方が理にかなっていると思います。

有り体に言えば人間の性格や行動原理は、環境によって大きく変わってしまう、というわけです。

例えばニューヨーク市。1991年から2004年までの13年間の間に犯罪発生率が75%も下がりました。だからといって別にニューヨークの人口が75%入れ替わったわけではありません。貧困が劇的に改善したわけでもありません。ただ「割れ窓理論」と呼ばれる考え方が導入され、以前は取り締まりの対象にすらならなかった落書きや麻薬の常習、あるいは立ち小便や鉄道の不正乗車などが厳格に取り締まられるようになったのです。すると街が小奇麗になり、小奇麗になると、あれよあれよという間に犯罪が減ってしまったのです。

これは冷静に考えてみるとすごいことです。それまで殺人や強盗、麻薬売買などが警察の手がまったく足りないほど日常的に発生していたのに、住んでいる人が入れ替わったわけでもないのに、こうしたわずかな治安のやり方の変更で人々の行動様式が180度反転してしまうのですから。

犯罪を犯していた人達も「心を入れ替えた」などという自覚はないでしょう。ただ以前のニューヨークでは「犯罪を犯す危ない人」でいるのが適切な在り方であり、現在は「小奇麗な都会人」が生きやすい在り方の街になったんだと思います。

「善きサマリア人の実験」と言われる有名な心理学の実験があります。プリンストン大学のジョン・ダーリー教授とダニエル・バッソン教授によって実施されました。

「善きサマリア人」というのは、新約聖書に出てくるお話です。

「ある旅人が追いはぎに襲われ、半死半生のまま道ばたに倒れていた。通りかかった司祭もレビも道の反対側を通り過ぎていった。ただ一人助けたのは、蔑まされていた少数民族のサマリア人だった」というお話です。

この実験では、任意に選んだ神学生に、聖書のテーマに基づく談話を近くの建物まで歩いていって発表してくれるよう、依頼します。すると歩いていく途中に、行き倒れている人がいるのです。

この実験では、
- 学生が神学を選んだ動機
- 談話のテーマが「職業としての聖職者と宗教的使命の関係」か「善きサマリア人の話」

によって立ち止まって助けようとするか人に有為な差があるかどうかを調べました。

ところがこの実験にはもうひとつの隠されたテーマがありました。
実は半分の学生には、「あ、遅刻だ。先方はすでに待っているから急いだ方がいい」と言って急かして送り出し、もう半分の学生には、「まだ時間はあるけど、そろそろ出かけたらどうか」と言って送り出したのでした。

神学を志すような学生ですし、なおかつ半分の学生は「善きサマリア人」の話をしに行くわけですから、多くの学生が立ち止まって倒れている人を助けるだろうと思うじゃないですか?

ところが実際には「急かされたかどうか」が結果を左右してしまいました。急かされた学生で立ち止まったのはわずか10%!、で時間の余裕のある学生の間では63%だったのです。話の内容はあまり影響がありませんでした。

よく「怪我をしている人がいるのに手当をしている人はわずか一人で、その他の人は救急車を呼ばずにケータイを出して写真を撮っていた」などと報道されたりしますが、まわりでケータイで写真を撮っている人が特別薄情というわけでもなく、おそらく周囲の行動様式に影響を受けてしまうんでしょう。

人間の性格には、おそらくあまり変わらない「地の部分」もあるとは思うんですが、性格というのは多分自分たちが考えているよりもずっとずっと環境の影響を受け易いんじゃないかと思います。

学校や塾の先生、会社で大勢の部下を使うような立場にいる方、あるいは顧客を増やしたいお店の経営者などは、どのような環境を構築すると学生や部下やお客さんの行動様式を望む方向に変えられるのか考えてみるのも面白いかも知れません。


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